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本名ではない「紫式部」、なぜ紫式部と呼ばれたか 生まれ年や没年すらもいまだ謎に包まれている

東洋経済オンライン / 2024年1月13日 7時30分

紫式部の由来と生まれ年は?(写真はNHK公式サイトより引用)

今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は紫式部の名前と生まれ年の謎を解説します。

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平安時代中期の作家・紫式部は謎の多い女性です。その生まれ年さえもわからず、これまで、さまざまな説が提示されてきました。

【写真】京都府・宇治市にある紫式部像

970年や、973年、978年生まれなど、さまざまな説があります。今でも定説はないのが、現状です(ちなみに没年についても複数の説があります)。つまり、多くの人が式部の生没年に迫ろうと努力を重ねてきたのです。

「紫」「式部」どんな意味?

余談になりますが、紫式部というのは本名ではありません。彼女の本名もまた不明なのです。紫式部というのは女房名(宮中での呼び名)なのです。

彼女を式部というのは、父・為時が花山天皇のときに、式部丞を務めていたからでした。式部丞は式部省(人事・儀式・教育全般を担当)の役人です。

では「紫」とは何でしょうか。これも定説はありませんが、『源氏物語』の登場人物「紫の上」に由来するのではとの説もあります。

さて、式部の生まれ年について見ていきましょう。これについて、手がかりになるようなものは残されていないのでしょうか。1010年に書かれた式部の手紙があるのですが、そこには、そのときの式部の年齢を探るうえでのヒントがあるように思います。

「年齢も仏道修行に似合わしい程になってきました。これ以上、老いぼれてしまうと、目も悪くなり、お経も読めなくなり、お勤めの気持ちも、益々、だらけていくに違いありません」と式部は消息文に書いているのです。

1010年の時点で、式部は自分のことを「老いぼれ」と言っている。しかも、目が段々と悪くなりかけている様子も窺うことができます。老眼の入り口でしょうか。

40歳より前に老眼になることは余りないと言われています(とは言え、早い人では30歳で老眼になってしまう人もいるようですが)。40歳を過ぎた頃から、老眼の症状が出てくることが多いとされています。一概には言えないとしても、そうしたことを考えたときに、式部は1010年には、40歳は超えていたように思うのです。

よって、1010年から40年を引いて、970年(頃)に式部は生まれたのではないかと私は推測しています。970年というのは、天禄元年です。

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