成長した若宮、うつくしいが故に漂う「不気味さ」 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・桐壺④
東洋経済オンライン / 2024年1月14日 16時0分
雲のうへも涙にくるる秋の月いかですむらむ浅茅生(あさぢふ)の宿
(雲の上の宮中ですら、涙でくもって秋の月はよく見えない。ましてあの草深い宿では、澄んで見えるはずもない。どんなふうに住み暮らしているのか)
若宮と祖母君の暮らす浅茅生(あさじう)の里を思っては、帝は灯火(とうか)を幾度も搔き立てて、油の尽きるまでまんじりともせず起きている。警備に当たる右近衛府(うこんえふ)の宿直(とのい)が、交代の折に自分の名を告げる声が響いてくる。もう丑(うし)の刻(午前一時頃)となってしまったのだろう。人目を気にして帝は寝室に向かうが、まどろむこともできない。翌朝起きる段になっても、女君がいた頃は夜が明けるのにも気づかずに共寝をしていたのに、夢でさえ逢(あ)えなくなろうとは……と悲しみに暮れ、今では朝の政務を怠ることもあるようだ。食事にも手をつけず、朝餉(あさがれい)に、ほんのかたちばかり箸をつけるくらいである。清涼殿(せいりょうでん)での正式な昼食は、まるで関係ないもののように見向きもしないので、給仕する者たちもみな、その言いようのない悲しみに触れて深いため息をついてしまう。帝の近くに仕える者は、男も女もみな、「本当に困ったことです」とため息交じりに言い合うばかりである。
「前世からよほど深い縁がおありになったのだろう。あれだけ多くの人に非難されても憎まれてもまるで気にせず、彼女のこととなると冷静なご判断もおできにならなくなって……。亡くなられた今は今で、こんなふうに政務を投げうたれてしまうのは、この先が思いやられます」と、またしても楊貴妃を愛したがために国を危機に陥れた異国の王を持ち出して、人々はささやくのだった。
月日が流れ、いよいよ若宮が参内(さんだい)することになった。成長したその姿は、今までにも増して気高く、いよいよこの世のものとは思えないうつくしさである。そのあまりのうつくしさに、帝(みかど)は禍々(まがまが)しさすら感じ、何か不吉なことが起きなければよいが、と不安を覚えるほどだった。
若宮が四歳となった明くる年、東宮(とうぐう、皇太子)を決定することとなった。第一皇子を飛びこえて、この若宮を太子に立てたいと帝は考えたが、若宮には後ろ盾もなく、世間も承知しそうにない。そんな中で無理強いをすれば、かえって若宮を苦境に立たせてしまうことになりかねない。そう考えなおした帝は、若宮の立太子を願ったことなどおくびにも出さないようにした。
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