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織田信長の謎に包まれた「女性関係」の不思議 釣った魚には餌をやらない人物だった?

東洋経済オンライン / 2024年1月16日 17時0分

(写真:GLP/PIXTA)

戦国大名の織田信長は、有名な割に豊臣秀吉ほど女性関係がどうだったのかあまり知られていない。数少ない史料からわかったこととは――。東京大学史料編纂所の本郷和人教授の著書『愛憎の日本史』より一部抜粋・再構成してお届けします。

実態が謎に包まれている信長の妻たち

有名な戦国大名であればあるほどに、その女性関係は後世に知られているものです。たとえば、武田信玄は何人もの女性と関係を持っていたし、毛利元就は一人の女性を深く愛し、亡くなるまで大切にしました(その後、何人かの側室をもつ)。このように有力大名であればどんな家の娘をそばに置いたかはある程度わかっているのですが、戦国大名として最も有名な織田信長の女性関係については、実はほとんど知られていません。

「源氏物語」の時代に恋愛が重要視された深い理由

一般的には冷酷無比なイメージがある織田信長ですが、案外女性に優しいイメージを抱いている方も少なくないでしょう。その最大の理由は、秀吉の妻である北政所、通称・おねへの手紙です。

豊臣秀吉は非常に女遊びが激しい人だったので、おねは信長に秀吉の女癖の悪さを愚痴ったようです。すると、信長は彼女に宛てた手紙で、「あなたはこの間会ったときよりも十倍も二十倍も美しくなった」「秀吉はあなたほどの女性にこの先もう二度と出会うことはないだろう」と、おねの気持ちを解きほぐすような細やかな心遣いを感じる文面をしたためています。

この文章を見ると、確かに信長には女性に優しい一面があったのかもと思わざるを得ない。しかし、当の本人である信長が、実際には誰を愛していたのかは謎に包まれています。

信長の最愛の人は、本当に濃姫だったのか?

まず、よく名前が上がるのは、美濃の戦国大名・斎藤道三の娘だった濃姫です。彼女は信長の正室です。

近年、木村拓哉さんと綾瀬はるかさんが主演する映画『レジェンド&バタフライ』でも、その恋愛模様が描かれていたので、御存じの方も多いかもしれません。なお、映画のタイトルが『レジェンド&バタフライ』になったのは、濃姫の名前が「帰蝶」だったからです(もっとも、濃姫が「帰蝶」という名前だったかはいまだ確証はありません)。

通説では最愛の人と言われる濃姫ですが、それが真実かはいまだよくわかっていません。

なぜなら、史料上では、信長が義父の治める美濃国を攻め取った後、濃姫の消息がぱたっと消えているからです。作家の司馬遼太郎は『国盗り物語』の中で、信長が濃姫を本能寺に連れてきていたため、明智光秀による「本能寺の変」が起きた際は、濃姫も一緒に戦って死んだというストーリーを描いていますが、あれはあくまでフィクションです。その後、信長と濃姫がどこでどのように生活をしていたのかなどは、まったく知られていません。

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