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ソニーはなぜ「銀座の一等地に公園」を作ったのか 公園を「再定義」して見えてきた"らしさ"の本質

東洋経済オンライン / 2024年1月16日 10時0分

――独自性を追求した結果、「ソニーパーク」に行き着いたのですね。

永野:一気にそこに行ったわけではありません。外部の有識者も交えて話し合う中で、「建てない」という選択肢が出てきたのです。そこから公園というアイデアへとつながっていきました。

ソニーの創業者の一人だった盛田昭夫は、1966年にソニービルを建てた際、ソニーの情報発信拠点として「街に開かれた施設」を目ざしていたのです。その象徴的存在だったのが、数寄屋橋交差点に面した10坪ほどのスペース。「ソニースクエア」と名づけ、ソニーとは直接関係のないイベントを行っていました。その思いを、われわれも継承すべきと考えたのです。

――それが公園という発想につながっていったのですね。

永野:約50年にわたり銀座という街にお世話になってきたという思いもありました。①ソニービルのコンセプトの継承、②銀座の街に対する恩返しということから、公園という方向に向かっていったのです。ただ、700平米ほどの土地ですから、広々とした公園を作れるわけではありません。そこで“ソニーが作る都会の中の公園”として再定義したのです。

――再定義とはどういうことでしょうか。

永野:このプロジェクトにおいて、僕らが大事にしたのは「再定義する」「世の中に問う」「未来への一歩となる」という視点でした。まず、再定義すること自体がソニーらしいととらえたのです。

過去においても、たとえばウォークマンは、家の中で聴くのが主流だった音楽を戸外に持ち出したし、プレイステーションは、それまで主に子ども仕様だったゲームを大人も楽しめるものにした。アイボは、仕事をサポートするロボットを人が可愛がるものにしたと、いずれも世の中の常識を再定義してきたのです。

銀座の街の中に「余白」を作る

――公園の再定義というと、どういうことになるのでしょうか。

永野:公園とは何をするところだろうと考え、モードチェンジする場ととらえました。自分の気分やリズムを変えることができる。それが公園の果たしている役割のひとつではないかと……。さらに、モードチェンジはどこに根ざしているかと掘り下げていった末、「余白」に行き着いたのです。

普通の施設は、買い物するとか、飲食を楽しむとか、音楽を聴くとか、あらかじめ目的が設定されていますが、公園にはそれがない。どう過ごすか、何をするかは訪れる側に委ねられているのです。そこで、密度の高い銀座という街の中枢に、「余白」を作ろうと考えたのです。

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