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「ガキ使」ADで挫折、人気オカルト作家の苦難の頃 先輩スタッフは「3カ月でぶっ壊してやる!」と宣言

東洋経済オンライン / 2024年1月16日 13時0分

と妖怪譚、神話、都市伝説などを教えてくれた。

「ちなみに祖母は夏の暑い日に池の中で河童と遭遇したそうです。泳いでいたら足を引っ張られたと。潜って見たら小さかったので、腹パンして水から引き上げてボコボコにしたって言ってました。強い人だったんですよ(笑)。

そんなふうに怪異に恵まれている環境でしたね。父から聞いた話を同級生に話すと、聞いてくれるんですよ。その時だけは人気者になれました。だから僕にとってはオカルトは、人と仲良くなるツールでもありました」

中学は町の学校に通った。そこでもあまり友達は増えなかった。

「バラエティ番組を見たりラジオを聞いているうちに“放送作家”という職業があるのを知り、憧れました。もちろん『芸能人と会えるから』くらいのミーハーな気持ちでしたし、放送作家についてもよくわかってなかった。でも、中学生を卒業したら東京に出ようと決めました」

はやせさんは中学卒業と同時に、東京に出ようと思っていたが、母親に

「高校だけは卒業してくれ」

と懇願され、高校に進学した。

「いわゆるヤンキー高校でしたね。工業系の高校で女子はクラスに4~5人しかいませんでした。数少ない女子に話しかけると『お前何話しとんねん!』って、ヤンキーに怒られるんですよ。小中時代、そもそも女性と話してこなかったし、ますます女性が苦手になりました。高校を卒業した18歳の5月に上京することにしました」

駅まで送ってもらうために母親の車に乗り込むと、父親がツカツカと歩いてきた。

「行くんかお前? わしゃ行けんかったのにな」

と言うと、はやせさんの鼻柱を拳で殴った。そして家の中に戻っていった。

「僕は長男なので跡をついでくれると思っていたのに、裏切られたというのももちろんあります。それに父も若い頃海外留学して絵を学びたいっていう夢があったのを諦めた経験があるので、田舎を捨てて東京に出ていく僕が羨ましかったというのもあったと思います。

父はずっと力仕事をしてた人なんで、殴られた鼻がいつまでも痛かったですね」

学生生活をはじめてまもなく「もう来なくていいよ」

東京に出てきたはやせさんは、プロダクション人力舎が開校しているスクールJCAに入学した。東京発のお笑い専門学校だ。

「お笑い芸人を目指している先輩がスクールJCAに入学したので、僕も追いかけて入りました。ただ、先輩は芸人志望だったんですけど、僕は作家を目指してました。学校には作家のコースはなかったので、仮にコンビを組まさせてもらって漫才やコント作る勉強をしたりしてました」

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