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「ガキ使」ADで挫折、人気オカルト作家の苦難の頃 先輩スタッフは「3カ月でぶっ壊してやる!」と宣言

東洋経済オンライン / 2024年1月16日 13時0分

ガキ使の先輩スタッフからは、

「3カ月でぶっ壊してやる!」

と宣言されていたが、なんとか3カ月は持ちこたえた。その時点でやっと、他のスタッフたちと連絡先を交換してもらえた。

目が覚めると東京駅に立っていた

「水曜日に収録があって、木曜日に回復、それでまた水曜日まで頑張る」というルーチンで毎日を過ごしていたが、ある木曜日、まったく回復していないのに気がついた。

「収録終わっても全然回復しないんですよ。メンタルがずっとキツイままなんです」

数日後、日テレで眠りにつき、目が覚めると東京駅に立っていた。はやせさんは岡山行きの切符を買おうとしていた。

「お金持ってないから、切符を買えてはおらずビービーと警告音が鳴っていました。その音を聞いてハッと正気に戻りました。携帯電話を見ると『お前どこ行ってんだ!!』と連絡がいっぱい来てました。無意識のうちに東京駅に来てるということで、さすがに『これはまずいかもしれない……』って思いました」

その時、たまたま知り合いから、ある雑誌の心霊特集の回を手伝ってくれないか?と頼まれた。

「単発の仕事なんですけど、『ヘッドハンティングされました』ってかっこつけて、下手なウソを言って、ガキ使の現場を離れました。結局1年ちょっとしかもたなかったですね。21~22歳の頃です」

22歳の時、19歳で出会った2つ下の女性とお付き合いをすることになった。高校の時から、女性関係全般が苦手なはやせさんだったが、なぜかその女性とは話すことができた。

「ガキ使」で経験値は上がったとはいえ、結局、放送作家にもなれず、テレビ局にも入れなかった。

養成所のクラスに、キラリと輝く人がいた

そんな折、「ワタナベエンターテインメント」のタレント養成所「ワタナベコメディスクール」に「作家企画専攻」コースがあると耳に入ってきた。

「それで改めて入学しました。そこで、また悪いところが出て『俺はすでに1年間、ガキ使の現場で働いたけど、こいつらはまだずぶの素人だな』って舐めた感じで入っちゃいました。でも実際には、1年を通して僕の成績はドベでしたね」

クラスの中にキラリと輝く人がいた。後に、都市ボーイズでコンビを組む岸本誠さんだった。当時、はやせさんは23歳で、岸本さんは27歳だった。

「誰から見ても彼がトップでしたね。例えば宿題が出ても、岸本さんは完璧にこなしていました。僕はひねてるから、変にいじくり回して出したりするんですよ。性格は対照的でしたけど、何故か仲良くなりました。岸本さんがクラス内にグループを作っていて、その中に僕も呼ばれました」

1年が経ち、学校の卒業課題が出された。「自分の見たい番組をプレゼンする」という内容だった。

基本的には「スティーブ・ジョブズがiPhoneを紹介する」時のようなスタイルでプレゼンする人が多かったのだが、はやせさんは一人だけコント形式で紹介した。あまり評価されず落ちてしまった。

岸本さんはいつも通り完璧にこなして、トップで合格した。

「『これが人生の分かれ目で、もう二度と会わなくなるんだろうな』

と思っていたら、岸本さんが話しかけてきました」

「審査員全然見る目ないね。お前のプレゼンが一番面白いのにね」

と岸本さんは言った。

(後編に続きます)

村田 らむ:ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター

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