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「ガキ使」ADで挫折、人気オカルト作家の苦難の頃 先輩スタッフは「3カ月でぶっ壊してやる!」と宣言

東洋経済オンライン / 2024年1月16日 13時0分

そんな学生生活をはじめてまもなく、講師の一人と言い合いになってしまった。

「たまたまライブの順位が良かった時があり、調子に乗ってました。先生に胸ぐらをつかまれて『お前声ちっちゃいぞ』って怒られたんですけど、カチンと来て『いや、でもおもろいもん作って順位良かったんやから、別に声ちっちゃかったって良いやろ!!』って言い返してしまったんです。そしたら『お前もう来なくていいよ』って言われました」

そのやり取りの一部始終を見ていた放送作家がいた。吉本興業に出入りをしている人で、

「君、裏方になりたいの? だったら紹介してあげるよ」

と制作会社へ人材を派遣する会社を紹介してくれた。

「それでスクールJCAを辞めました。暑い季節だったのを覚えてますから、入学して3~4カ月で辞めてますね(笑)。

それで制作会社に入って、特番を任されました。グルメ番組やクイズ番組、ドライブ番組などを担当して、リサーチしたり資料を作ったりする日々でした」

ある日、社長に、

「レギュラー番組だけどやってみる? ただしすごくキツい現場だけど」

と言われた。それまでは特番しか受け持ったことがなく、初のレギュラー番組だった。

「その番組は『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』でした。大好きな番組だったんで、よろしくお願いします!と言いました。ただ現場は、想像以上に厳しかったです」

はじめてのレギュラー仕事は嬉しかったが、それにしても「仕事が厳しい」のレベルをはるかに越えていた。

ただ『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』は毎週、ドラマを撮る回、クイズを撮る回、ゲームをする回など、さまざまな企画をやるので、総合的な力がついていくのもわかった。

「『笑ってはいけない』シリーズの時は、レギュラー番組を撮りながら、裏で特番も撮影するので結構厳しかったですね。

実際ミスも多くて……。スタジオで致命的なミスを2回犯したことがあるんですけど、それぞれ松本さんと浜田さんが助け舟を出してくれて事なきを得ました。ありがたかったです。

そんな厳しい現場でしたけど、打ち合わせは楽しかったです。ミーハーなので芸能人の話は単純に面白いですし、心霊の話とかも出るんですよ。

『どこそこの編集所に幽霊が出るらしいぞ』とか。そういう話聞くとワクワクしました。あと当時パソコン持ってなかったので、日テレのパソコンでオカルトなことを検索しまくっていました。後で無断使用がバレて使えなくなりましたけど。家に帰れない時も多く、そんな時は本を持ち込んで朝まで読んでましたね。夜な夜な、山口敏太郎先生の本を読んでた記憶があります」

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