山手線目黒駅が「目黒区にない」ごく簡単な理由 所在地は品川区、現代と異なる「駅前」の感覚
東洋経済オンライン / 2024年1月17日 6時30分
目黒という地名、駅名は江戸の「五色不動」の1つ、目黒不動尊(瀧泉寺)に由来する。ここは古くから広く参拝客を集めており門前町が発達。一種の行楽地としてにぎわっていた。
【写真を見る】「目黒区ではなく品川区にある」目黒駅周辺には何がある?現在の山手線は、後から増設されたことがよくわかる
目黒駅から下る行人坂から目黒川を太鼓橋で渡り、目黒不動尊に至る道筋には、料理屋や土産物店などがぎっしりと並んでいたという。駅の設置も、寺社参拝客より門前町への行楽客が目当てであった節がある。
落語で有名な『目黒のさんま』
落語の人気演目『目黒のさんま』も、この門前町が舞台だ。江戸時代、大田区の馬込付近から世田谷区一円に至る広大な範囲が将軍の鷹狩場となっており、「目黒筋御場」と呼ばれていた。その番人の屋敷があった場所が、目黒区の鷹番だ。そして鷹狩の帰り、将軍は目黒不動尊付近の茶屋で休息しており、これが落語の元になったとする説もある。
現在の山手線の前身である日本鉄道品川線(品川―赤羽間)は1885年3月1日に開業した。同時に営業を開始した駅は渋谷、新宿、板橋だけで、2週間遅れた同年3月15日に目黒と目白が追加された。
その次の品川線の新駅は1901年開業の大崎、恵比寿(貨物駅)と16年も間が空く。現在のように多くの駅が設けられたのは、国有化後、1909年に電化され電車運転が始まってからだ。
当初、駅が少なかったのは、沿線が武蔵野台地上の人口希薄地帯であった事情もあるが、根本的な理由は、品川線が上野―熊谷(―前橋)間の日本鉄道と、新橋―横浜間の官設鉄道の連絡を主目的として建設されたためである。開業初日の渋谷駅の乗降客が皆無だったような例もあり、沿線住民の輸送はほぼ眼中になかっただろう。
そもそも黎明期の鉄道は庶民の収入と比較して運賃が非常に高額だった。1894年に創刊された『汽車汽船旅行案内』によると、新橋―目黒間の運賃は6銭(現在は180円)。1890年代の公務員の初任給が10円ほどとされるから、1円は今の約2万円ほどか。6銭は換算すると1200円。今のように気軽に隣の駅までといった利用は考えづらかったのだ。
ちなみに当時の品川線の旅客列車は9往復だった。そうした歴史的経緯を考慮しないと現状を見誤る。
目黒駅付近のルート
品川線最大の使命は、明治初期の日本のもっとも重要な輸出品であった絹糸を、富岡製糸場に代表される生産地の群馬県から横浜港まで運ぶこと。国策に沿った鉄道なのである。それゆえ、品川―赤羽間を極力、直線かつ急勾配ができないよう建設されている。
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