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紫式部が女部屋に侵入した男に取った大胆行動 和歌を送った紫式部、書かれたその内容とは?

東洋経済オンライン / 2024年1月27日 11時45分

「どちらから頂いた歌かといろいろと考えているうちに」と男が言うのには、理由があります。

式部には、年齢がたいして変わらない姉がいたのです。そのため、男は、式部の姉から送られた歌なのか、式部自身から送られた歌なのかわからないといろいろ考えていたというのです。

式部は、この男の返歌に「手を見分かぬにやありけむ」(どちらの筆跡か見分けがつかなかったらしい)と注釈を付けています。

女部屋に忍んできた男に和歌を送る

それにしても、女部屋に忍んできた男に、和歌を送り付けるとは式部も大胆です。男性のほうから歌を送ることは多々あったでしょうが、女性から送るというのも珍しいと言えるでしょう。

しかも、普通ならば、急に忍んできた男に嫌悪感を持つか、気味が悪いと思うものですが、式部にはそれがなかったようです。実にあっけらかんとしています。

面白がって、男をからかっているようにも見えます。もっと言うと、歌を送るということは返歌を期待してのこと。その後もやり取りが続く可能性もあります。

式部はその男に関心も持ち、恋愛関係になってもいいくらいに思っていたのではないでしょうか。式部とこの男とのやり取りをもっと「過激」に解釈する人もいます。

それは例えば、式部の歌を「私に変なことをしておきながら、本当に私が好きなのか嫌いなのか、はっきりしない態度をとって帰っていった翌朝」に送ったものとし、歌の意味を「あなたはいったい、本気でなさったの、それとも一時の気まぐれなの。明け方に出ていらっしゃるとき、薄暗い明け方の空に朝帰りのそのお顔を紛らわして、空とぼけていらしたわね」と解釈する人もいるようです。

この意味にとるならば、式部とその男とは以前から少しは交流があったととることもできますし、何より、この時2人は肉体関係にあったということになります。式部がこの歌を詠んだのは、20代前半と言われています。

忍んできた男性は何者だったのか

では、式部と姉がいる部屋に忍んできた男は何者なのでしょうか?式部の父・藤原為時の同僚や、はたまた後に式部の夫となる藤原宣孝ではないかとさまざまな説があります。もし、後の夫だったとしたら、それはそれでロマンチックではあります。

今回の歌の件を見ても、紫式部はかなり大胆で、情熱的な面があったことがわかります。人間の行動をおかしみをもって見る余裕もあったのでしょう。

その一方でこんなエピソードもあります。

式部は「祓へどの神の飾りのみてぐらに うたてもまがふ耳はさみかな」という歌を残しています。これには「弥生のついたち、川原に出でたるに、傍なる法師の紙を冠りにて博士だちをる憎みて」との詞書があります。

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