1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

紫式部が女部屋に侵入した男に取った大胆行動 和歌を送った紫式部、書かれたその内容とは?

東洋経済オンライン / 2024年1月27日 11時45分

当時の人々には、三月上巳(一日)に川原に出て、禊ぎをし、罪穢を祓い流す習慣がありました。人形を作り、それに人間の穢れなどを移し、川や海などに流すことも行われました。都の人々は、そうしたことを賀茂川で行っていたため、式部が言う「川原」とは、賀茂川のことでしょう。

さて、人々の罪穢を祓い流す仕事は、本来は陰陽師(陰陽博士)が行うものでした。

しかし、川原に着いてみると、そこにいたのは、紙の冠を坊主頭にかぶり、陰陽師の真似事のようなことをやっている僧侶でした。もしかしたら、その僧侶は陰陽師の真似事のようなことをして、人々から謝礼を受け取っていたのかもしれません。それを見た式部は憤り、前掲の歌を詠んだのではないでしょうか。

若いころから批判精神が備わっていた

陰陽師でもないのに、得々として、お祓いをしている僧侶の態度を嫌らしいと感じたのでしょう。この歌は、式部17歳頃のものとも言われており、式部の心には、批判精神というべきものも、育っていたと言えるでしょう。

(主要参考文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

濱田 浩一郎:歴史学者、作家、評論家

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください