1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

なぜ紫式部は光君を「闇抱える男」として描いたか 源氏物語が普遍的に問う「生きることの苦しみ」

東洋経済オンライン / 2024年2月4日 12時20分

自由に生きられない女性、男性に拠って立つしか生きられない女性たちを描くことによって、女性たちの苦悩を訴えかけるように思えたんです。拒否感があるのはわかるけれども、男性優位を肯定している物語ではないという気がどうしてもしてしまいます。

現代の私たちの苦しみにもつながる

山本:私もそう思います。実際のところ、『源氏物語』が書かれた平安時代においても律令制という法律はあって、子どもをさらって自分の家族や奴隷みたいにすることは有罪でした。つまり光源氏は違法なことをしている。違法とわかって若紫をさらっているわけです。

ですから当時の読者も、光源氏の非道さをわかっています。光源氏が若紫を虐待から救済したのだと信じきっているわけではなく、甘いところも苦いところもわかって読んでいたのです。当然ながら、紫式部はわかったうえで書いているでしょう。

「おいしい話」とでもいいましょうか、今の私たちの価値観に合うような、嫌な男も性暴力も出てこない、甘いお菓子みたいにこしらえられた物語ばかりでいいはずがない。私はそう思います。

角田:そうですね。たしかに時代は変わりました。女性たちは誰に頼らなくても自分で働いて生きていくことができます。身分の差もそれほどありません。この男は嫌だ、あの男も嫌だと思ったら、死ぬでも出家するでもなく、もっといろいろな道があります。

さて、そういう時代になったからといって、『源氏物語』のテーマである「世」=「社会」「身」=「身体」から逃げおおせたのかというと、そうじゃないと思うんですよね。この世に生まれて生きることにはやっぱり不自由な苦しみがついてまわる。『源氏物語』という大きな物語が訴えかけてくるのはそのことです。

それは女性だから男性だからということではない。だからこそ姫君たちに対して、「男性に頼るしかない社会だったから、あなたは苦しかったのね」というふうにはならない。今の私たちの苦しみとつながるところがあるように思います。

光源氏「名前は光、心は闇」

山本:女性だけでなく男性も、「世」や「身」に縛られているんですよね。光源氏は幼くして母親を亡くしたという心の空洞が埋まらなくて、いつまでも自分の身の上に馴染んでくれない「心」に翻弄されている。薫だってそうです。時代や境遇、価値観が変わっても、現実というものが目の前に立ちはだかっているということは、誰もがみなそうなんですよね。

角田:ぜひアメリカでも読んでほしいですよね。

山本:ええ。実はゴードン先生の質問に私はこう答えたんです。「光源氏は光り輝くパーフェクトな人物にみえるので〈ピカピカくん〉という渾名がついています。けれども実際には、幼くして母に死なれ、一番好きな女性とも結ばれず、天皇にもなれず、いつも心は真っ暗闇。ですから、この合言葉をハーバードではやらせてください。〈光源氏。名前は光、心は闇〉」。

私はギャグのつもりで言ったのですけれども、うまく伝わったかどうか。今日ようやく、角田さんのお話とつながった気がします。すごくうれしいです。

角田:こちらこそ、今日はありがとうございました。

角田 光代:小説家

山本 淳子:平安文学研究者

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください