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「傷つく言葉」の裏に隠された真実が自分を変える 「泣き虫」名門女子校の校長が語る"涙の効用"

東洋経済オンライン / 2024年2月4日 17時0分

当時は、子育てが始まったばかりで慣れないことだらけ。また教員としての経験も浅く、「こうあらねばならない」「こんなふうに見られたい」という思いにがんじがらめになっていました。

その頃の教え子に会うと、「あの頃の先生は、ほんとにすごく遠かった」「昔の先生は、顔がこわばっていて怖かった」と指摘されます。「もう、昔のことは言わないで」と冗談交じりに頼みつつ、申し訳なかったと心の中で謝るのです。

そのときは泣くことしかできませんでしたが、少し時間を置くと、改めて自分という存在を鎧に押し込め、取り繕っていたのだと気づきました。

それから長い時間をかけて、こう思うようになりました。

「きちんとしなければ」「人に貢献したい」とがんばってきたけれど、その前に自分をしっかり見て、いたわることが大事なのではないか。

そして、自分の気持ちをないがしろにせず受け止めながら、他者とつながっていくことが、自分を愛するということではないか。

それから、生徒への対応も少しずつ変わっていきました。

自分の弱さを出してもいい

自分の弱さを出してもいい。教員として生徒と一線を引くのではなく、気を楽にして、お互い人間対人間としてかかわりを持とう。そう思えるようになったのです。

もちろん、さすがに指摘を受けたそのときは落ち込みました。

でもしばらくして、ふと「そうか、私は今そんな状態なんだな」と思ったのです。今の自分を受け入れようと感じた瞬間でした。

そのとき、少し変化が生まれたような気がします。

ただ、そこで止まってはダメなのだということもわかりました。厳しい指摘を受け入れた上で、変化していかなければ進歩はないのだと。

だから少しずつ、人の目を気にして着ていた鎧を脱ぐことを意識しました。そして、自分のやりたいこと、言いたいことはなんだろうと考えながら、行動するようにしたのです。

今も、試行錯誤は続いています。しかし歳を重ねた今、その積み重ねが知らず知らずのうちに、自分を解き放ってきたのだと実感しています。

原動力のひとつとなったのが、若かりし日、痛みとともに受け止めた言葉です。

涙とは、言葉にしたくてもできない思いがあふれて出てくるものなのでしょうか。

少なくとも、私の場合はそうだったかもしれません。カウンセリング研修で人目をはばからず泣いたように、昔からよく泣く子でした。自分の気持ちをうまくいえないぶん、涙がすぐポロポロこぼれてくるのです。

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