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紫式部「清少納言の作品」を"猛烈批判"その心の内 「奇をてらうばかりで中身がない」と酷評した

東洋経済オンライン / 2024年2月10日 11時10分

清少納言。大河ではファーストサマーウイカさんが演じる(写真:NHK公式サイトより引用)

今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は紫式部が、清少納言など、同時代に生きた女性歌人たちに対して抱いていた想いを紹介します。

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『紫式部日記』には、紫式部の名もなき同僚(一条天皇の中宮・彰子に仕える女房たち)に対する想いが記されているだけではなく、和泉式部や赤染衛門、清少納言など、現代のわれわれも「知っている」著名人についての評価も書かれています。紫式部は彼女たちに、どんな想いを抱いていたのでしょうか。

【写真】紫式部が歌の才能を認めた、赤染衛門。大河ドラマでは凰稀かなめさんが演じる。

和泉式部はどんな人だったのか

まず『紫式部日記』で登場するのが、和泉式部です。和泉式部は、彰子の女房でした。紫式部と仕えていた人は同じだったようです。

辞典類には生没年不詳と書かれることがありますが、978年頃に生まれたのではないかとの説もあります。そして、1027年までは生存していたと推測されているので、やはり紫式部と同時代に生きていたことが推察されます。

和泉式部の父は大江雅致、母は平保衡の娘。和泉式部の母は、朱雀天皇の皇女・昌子内親王に仕える女房でした。

和泉式部は、橘道貞と結婚します。夫が和泉守に就任したことから「和泉式部」と彼女は呼ばれました。

和泉式部と夫との間には、女児(小式部内侍)が誕生しました。しかし、和泉式部と夫・道貞は不和となり別居します。

その後、和泉式部は「奔放」な恋の道に走ります。冷泉天皇の第三皇子・為尊親王の寵愛を受け、身分違いの恋として、親からは勘当されてしまいます。為尊親王と死別すると、今度は、為尊親王の弟・敦道親王と恋愛関係になります。

敦道親王がまだ独身ならばよかったのかもしれませんが、本妻がいました。親王と本妻との関係は、和泉式部が原因で破綻。敦道親王も早世します。

その後、和泉式部は、一条天皇の中宮・彰子に仕えることになります。そして、藤原保昌と再婚することにもなるのです。

しかし、和泉式部には悲劇も襲いました。1025年には、娘の小式部内侍が亡くなってしまいます。

晩年の和泉式部についての詳細はわかりませんが、彼女もまた女流歌人として多くの歌を残し、『和泉式部日記』も残しています。

紫式部と和泉式部は、性格の違いはありますが、歌や日記を残している2人の生涯は重なる部分もあります。

紫式部が歌の才能を認めた赤染衞門

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