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「11浪で早稲田合格」今も彼が抱く"浪人への後悔" 大学卒業後は40代でIT企業勤務にも挑戦した

東洋経済オンライン / 2024年2月11日 7時30分

11浪して早稲田に合格した東さん。浪人は必ずしも肯定できない、と語ります。※写真はイメージ(写真: Fast&Slow / PIXTA)

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は、郁文館高等学校から11浪して、早稲田大学第二文学部に合格。卒業後IT企業での勤務を経て、テクニカルサポートの仕事をしている東(ひがし)さんにお話を伺いました。

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浪人してよかったとは言えない

今まで多くの人の浪人人生をお送りしていたこの連載。

【写真】現役のセンター試験は500点程度で終わった東さん。写真は2024年の共通テスト会場前の様子。

彼らに共通することは「浪人をしてよかった」と考えていることでした。

ただ、今回お話を聞いた東(ひがし)さんは、11年の浪人を経験したことに対して、必ずしも全面的に肯定しているわけではありません。

彼は言います。「自分は精神年齢が低かった」「恵まれていたのに頑張れなかった」と。浪人に対して今も後悔を抱いているようでした。

しかし、彼の話を聞き進めていくと、この十数年で精神面を鍛え、人間として大きく成長していたことがたしかに感じられたのです。

「浪人をしてよかったとは言えない」と語る彼が、浪人生活で学んだことは何だったのでしょうか。

東さんは、千葉県に生まれ育ちました。小学校3年生になってから研究職をしていた父親の仕事の都合で、京都の城陽市に引っ越し、卒業までを関西で過ごすことになります。

「父方が立派な家系で、祖父が大学の学長でした。小さい頃からいろんな方々が家に出入りする環境でしたね」

小さい頃の自身については「感覚で生きていた」と振り返ります。

「思い通りにならないと、へそを曲げてしまう性格でした。自分の中で勉強に興味を持つ時期と、嫌いでまったくやりたくないという時期があり、いいときはトップクラス、悪いときは最下位レベルの成績でした」

「とにかく勉強が嫌いだった思い出のほうが強い」と語る彼は、中学受験はせずにそのまま公立中学校に上がり、1年生のうちに千葉県に戻ってきます。

高3で文系から理系に変える

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