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「11浪で早稲田合格」今も彼が抱く"浪人への後悔" 大学卒業後は40代でIT企業勤務にも挑戦した

東洋経済オンライン / 2024年2月11日 7時30分

「成績が中ぐらいに落ち着いた」中学生活のあと、高校受験をした彼は、東京の私立である郁文館高等学校に進学します。しかし、彼の人生を大きく変えるアクシデントもここで起こりました。

「高校1年生の時点で進路を決める学校だったのですが、自分は漠然と考古学者になりたいと思って文系コースを選択したんです。でも、しだいに社会に出てからの生活のことを考えて、3年生で理系コースに入り直して勉強することにしました。

周囲からはこの選択に『なんでそんな無謀なことするの?』、『1年棒に振るの?』などと言われたんですが、当時は『やる気さえあればどうにでもなる!』と思っていました。考えが甘かったですね……」

「学校に入る前に日本史と世界史の教科書を一言一句覚えた」と語るように、興味のある科目に関しては素晴らしい成績を取りましたが、科目によってムラがあるのは高校でも変わらなかったようで、センター試験は500/900点程度に終わります。

「理数系の科目は成績が高かったのですが、文系科目は嫌いだったので、ひどい成績でしたね。模試では千葉大学でD~C判定を取っていた学部もあったので、そのまま前期試験で受けたのですが、落ちてしまいました」

滑り止めの早慶と明治大学も落ちた彼は、浪人を決断します。その理由については「そもそも現役で受かろうと思ってなかったから」と話してくれました。

「浪人をすることに対して、特に劣等感はありませんでした。勉強すれば行きたいところに行けると信じていましたし、納得するところにいけるまで、(勉強)すればいいんじゃないかとも思っていました」

こうして彼は「やるからには東大を目指そう!」と思い、駿台お茶の水校3号館に入って浪人を始めました。しかし、1浪目・2浪目とともに、夏になると早くも諦めムードが漂ったそうです。

「模試の偏差値は52~54くらいで、現役時代より成績が落ちてしまいました。東大に合格するには明らかに厳しいレベルでしたね。1浪・2浪のときは、3月から5月までは少し頑張ろうと思って、ガーッと勉強するのですが、夏になったら身の程を知る感じになります」

成績が上がらなかった彼は、志望学部も文系に変えるなどの試行錯誤もするものの、結局受験に失敗します。3浪目の年には『さすがにこのまま親のすねをかじっていてはまずい』と意識が変わり、新聞奨学生として、新聞配達をしながら勉強を続ける決断をしました。

「とにかく朝早いので、眠くて日中の勉強になかなか打ち込めませんでした。朝刊の配達が終わったらすぐ寝て、起きたら今度はすぐに夕刊を配達する時刻になっていて、配達が終わったら17時。次の朝も2時起きなので、21時に寝ないとなかなか体がもたなかったので3浪目はほぼ勉強できませんでした」

一橋の2次試験まで進めたが…

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