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信玄の「赤備え」無敵伝説は"イメージ戦術"だった 大久保利通も「鳥羽・伏見の戦い」で用いた手法

東洋経済オンライン / 2024年2月12日 18時0分

石川数正が徳川家康を裏切って、羽柴秀吉側に走ったのは、まさにこのタイミングでした。ついに秀吉は、徳川家のナンバースリーを手に入れたわけです。

徳川家の戦い方を一から十まで知っている人間が、敵陣営にいる以上、徳川の家臣たちはすぐに戦うことができません。数正は家康方の弱点を、ことごとく熟知しているのですから。

余裕の出た秀吉は、強硬路線から家康を懐柔する方針に切り替えました。自分の妹を家康の妻=正室とし、さらにはその妹の見舞いを名目に、母親まで人質として家康に差し出したのです。ここまでされては、家康も秀吉に応じざるをえません。

ついに家康は上洛し、秀吉への臣下の礼を取ることになりました。

秀吉は戦わずして、家康の戦力を削ぎ、上下をはっきりさせることができたのです。人もお金もほとんどかけずに大きな目的を達成したわけですから、とてもコストパフォーマンスのよい戦術と、いうことができるでしょう。

余談ですが、筆者はこのおりの石川数正の主君家康への裏切りを、主君および徳川家臣団を守るための、思い余った苦肉の策であったと考えてきました。読者の皆さんの見解はいかがでしょうか。

加来 耕三:歴史家、作家

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