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教育水準「上がりすぎ」先進国を襲う悩ましい問題 教育は幸福につながる?知られざる負の側面

東洋経済オンライン / 2024年2月14日 16時0分

多くの発展途上国では、植民地政府が西洋式の教育を導入したため、ヨーロッパ人が作り上げた近代教育によって、自国の本来の知識のあり方が壊されたと非難する人もいる。だが発展途上国の指導者の多くはもっと現実的で、教育をむしろ西洋依存から脱するための最短の道だと考えている。

それに、近代教育と自国の文化・伝統をどう組み合わせるかはそれぞれの国次第である。その点で模範となるのは日本で、西洋の科学と教育をうまく取り入れながらも、古い伝統と独自性を保っている。これから世界のますます多くの地域で教育水準が上がっていけば、知識が西洋の領域というより、人類の共同事業と見なされるようになっていくことはほぼ間違いない。

教育によって価値観が植え付けられる

教育の最悪の側面として指摘されるのは、頭を使わないオートマタを大量に生み出すばかりか、ナショナリズムや、大量虐殺につながりかねない敵対感情さえ育ててしまうという点である。わたしたちがしばしば思い起こすのは、戦間期のドイツ人は世界でもっとも教育水準が高かったにもかかわらず、ナチスを支持して民主的制度を捨て、戦争と大量殺戮へと突き進んだことだ。

1994年のルワンダの大虐殺についても、学校でツチ族への反感を植えつける教育が行われたことも原因になったとして、教育の責任を問う声がしばしば上がっている。ナショナリズムに関しても、教育は当初からそれを広めるうえで中心的な役割を果たしてきたし、宗教も今日では家庭と同じくらい学校で広められている。

これらの批判は、公害、事故、銀行強盗(逃走に車が使われる)などについて自動車そのものが悪いと責めるようなものである。教育は悪用されうるが、善用されることのほうがはるかに多いと答えればいい。近代国民国家も産業経済も、言語やものの見方の標準化、国民の読み書き・計算の能力がなければ成立しえなかった。

伝統的な国民国家が教育なしには発展できなかったように、グローバル化にも教育が必要で、それがなければ人々が自分を一国の国民であると同時に、世界市民でもあると認識できるようにはならない。教育批判に対しては、皆が無知のままのほうがよくなるとでもいうのかと切り返すのがいちばんだろう。

最近ではもっと興味深い指摘も出ている。ジャーナリストのデイヴィッド・グッドハートと経済学者のディートリック・ヴォルラスがそれぞれ別に指摘したもので、最先進諸国はすでに「教育のピーク」に達したかもしれないというのである。経済学的に言えば、人口の半分が大学に進学するようになった時点で、人的資本への投資利益率は低くなっているという。

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