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山崎元、余命宣告されて伝えたかった「幸福」の正体 「豊かさ・お金」と「自由」があればいいのか?

東洋経済オンライン / 2024年2月15日 14時0分

それは、「経済学の研究に加わっている自分と、仲間内からもらえる賞賛」に大きな価値があると感じるからだろう。

「フェラーリを一台貰うよりも、いい論文が一本書けて最高レベルの学術誌に採用され、仲間に賞賛される方が遥かに嬉しい」と思う経済学者は少なくあるまい。「仲間内の賞賛」は、大きな経済価値の期待値に勝る喜びなのだ。

さて、「仲間内の賞賛」に価値が高いことは、経済学者の世界だけに限るわけではない。他の学問でもそうだろうし、各種の芸事やスポーツ、文学やアートの世界でも同様だ。

「私は、仲間の評価ではなく、自分自身の作品(研究)に満足しているので、他人の評価は自分の幸福感に関係ない」と言い張る人がいたら、「それは勘違いでしょう。もう少し素直に考えましょうよ」と言いたい。

そもそも、学問にせよ、芸術にせよ、スポーツやゲームであっても、どのジャンルにせよ過去から現在にかけて多くの他人が創り上げてきたものだ。

どんな芸術性があり、どんな研究が研究として価値を持つかといった諸々が他人にすべてを決められているものではないにせよ、他人の価値観(つまり他人の視線)の影響を受けている。

価値観として個人が自分の自由や創造だと考えているものは、他人が築いた価値観にごく小さなものを付け加えたか、いくつかの選択肢の中から何かを選び取ったに過ぎない。

特定の専門のジャンルでなくても、「美しい響きの言葉」とか、「正義」といった価値尺度は、過去から現在にかけて夥しい他人が形成した感じ方の影響を受けている。

仲間内の評価には「強過ぎる効果」がある

人間は、自分だけで価値観を形成して自分を満足させられるほど高性能にはできていない。その証拠に、「他人の評価は関係ない」と言い張る当人が、芸術作品や論文を世間に発表するではないか!

仲間内で評価されることが人の喜びなのは結構なことだが、現実にはしばしば厄介だ。効果が強過ぎるのだ。

たとえば金融パーソンが良心を麻痺させて理解力の乏しい高齢の顧客に高い手数料の商品を売るのは、組織内での自分の人事評価や出世のためだ。

財務省の官僚が不適切なタイミングであっても増税を決めたがるのも「仲間内の評価」のためだろう。何とくだらなくて、迷惑なことか。

これらはポジティブな評価を求める行動だが、いわゆる「いじめ」では、対象者の仲間内での評価を徹底的にネガティブに貶めることによって、時には自死にまで追い込む効果さえある。

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