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ドラマ「不適切にも~」昭和世代の部長が沼る理由 平成世代の「働き方」と「働きがい」の狭間で

東洋経済オンライン / 2024年2月16日 12時0分

第1話・第2話の終盤のミュージカル・シーンで、阿部サダヲ演じる小川市郎が歌い上げた言葉は、ドラマの展開上は「昭和のダメおやじ」の言葉となるが、実は「平成世代」が抱える葛藤に寄り添ったもので、そこに元管理職の私はグッときたのだ。

管理職時代、もっとも頭を悩ませたこと

「働き方改革」というテーマの下で語られるのは「昭和世代」と「Z世代」寄りの極端で一面的なものが多い。だがつい3年前まで管理職だった身からすると、このテーマは――そんな簡単なものではまったくない。

管理職時代、もっとも頭を悩ませたのがワークシェアリングだ。上司からは「もっと働かせろ、でも働かせてはいけない」という何ともな指示が飛び込んでくる。部下からは「あの仕事は/あの人とはもっと働きたい、でもあの仕事/あの人とは働きたくない」という陳情が飛び込んでくる。

しかし私の側に機械的な解法はない。この矛盾を振り出しにして、地を這うような説得、調整、寝技が始まる。それでも100点満点の解などなく、結局誰かに不本意な思いをさせることになり、落ち込む。

矛盾の本質は「働き方」と「働きがい」のぶつかりだと考える。「労働時間短縮・メンタル保全」と「承認欲求・成長欲求」のぶつかり。にもかかわらず最近の「働き方改革」論議は、往々にして、後者「働きがい」の視点(平たくいえば、部下がやりたい/成長する仕事を、ちょっと無理してでもやらしてあげたいという視点)が欠如している。いやいや、そこを無視していいのなら、地を這うような説得、調整、寝技なんていらないよ。

話を戻すと、先の矛盾が発生したとき、いちばん頼り、無理を聞いてもらい、助けてくれたのが「平成世代」だった。逆にいえば彼(女)らは、会社の中における「しわ寄せの吹き溜まり」になっている。

そんな中で小川市郎(阿部サダヲ)の歌は、実は「平成世代」の「働きがい」の話を補完しているように聞こえた。つまりは今の「働き方改革」議論にすっぽり抜け落ちている視点の指摘。だからこそグッときた――。

山田太一への道を歩みだした

「弱者の物語」を描く「宮藤官九郎・第2章」を言い換えると「令和の山田太一」へのトライアルである。惜しくも昨年11月に亡くなった山田太一への道を踏みだしたのではないか。

思えば、『不適切にもほどがある!』は、山田太一の名作『ふぞろいの林檎たち』シリーズと符合するところが多い。

・ 同じくTBS金曜ドラマ(22時からの枠)
・ 番組タイトルが「ふ」から始まる。
・ そして各話のタイトルが疑問型→『ふぞろい~(パートI)』第1話:「学校どこですか」/『不適切~』第1話:「頑張れって言っちゃダメですか?」

さらに手元にある『総特集 山田太一 テレビから聴こえたアフォリズム』(KAWADE夢ムック)を見て驚いた。

この本の中で宮藤官九郎は山田作品の中から『ふぞろいの林檎たち』(パートⅡ)を推しているのだが、推奨文の中に「突然始まるミュージカルなど、すでにベテランだった山田先生が『ふぞろい』の型を破ろうともがいているようで勇気が湧きます」と書いているのだ。『不適切にもほどがある!』のミュージカル・シーンは、もしやここから?

宮藤官九郎が、これまでの型を破り「令和の山田太一」に進むためのドラマとして、元管理職として、いや、いちドラマファンとして、本作に注目していきたい。

スージー鈴木:評論家

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