「筑波合格も藝大に挑戦」彼の劣等感が消えた瞬間 ルポライターの國友公司さんに話を聞いた
東洋経済オンライン / 2024年2月18日 7時40分
大変な家庭状況の中、一家は國友さんの高校進学とともに母親の生家である埼玉県の大宮に移ることを決めます。思春期の大変な時期での引っ越しは、彼自身の進路選択にも大きく影響したと言います。
「受験勉強を始める前から、引っ越すことは決まっていたので、栃木県にいながら埼玉県の志望校を選んでいたのですが、大変でしたね。栃木県と比べて学校の数が桁違いに多いですし、埼玉県の学校に対応した模試も受けられなかったので」
金髪の子も通う、校則の概念がない高校に進学
遠方の志望校を決めるのに苦労した國友さんは、東京工業大学の附属校を第1志望に設定したものの、学力的に届きそうになかったために、直前で浦和西高等学校に変更します。
なんとかここに合格して進学しますが、栃木県で暮らしていたため、埼玉県内の学校の情報を得られなかったことが、高校生活に大きく影響しました。
「志望校だったので、受かったこと自体は嬉しかったのですが、僕が入った学校は校則という概念がない、県内でも変わった高校だったんです。
制服がありませんでしたし、生徒は金髪にしてる子も珍しくない。体育祭や文化祭などの行事にも、学校側が一切関与せず、その年にやるかやらないかをすべて生徒に任せる感じでした。
埼玉県内から浦和西の自由な校風を求めて来ている子たちも多かったです。生徒数も1学年に9クラス、400人もいる環境にびっくりしましたし、自分はその中でも栃木訛りが目立ってしまっていたので、最初は居づらかったですね」
それでも、入部した野球部が真面目な雰囲気だったこともあり、しだいに学校生活に適応していった彼は、3年生の8月の引退まで気の合う仲間と野球に打ち込む生活を送ります。その間、勉強は2年半まったくしなかったようです。
「野球部は学年400人中、みんな後ろから20~30番くらいでした。自分も例外ではなく、模試をたまに受けたら、数学は2点とか3点というありさまで、5科目で100/900点いったら喜んでいました……(笑)。先輩もほぼみんな浪人コースだったので、自分も浪人を視野に入れていた感じでしたね」
建築家になりたい夢があった
進路は野球部を引退してから決めようと思っていたそうですが、そんな彼にも「建築家になる」という中学時代からずっと抱き続けていた目標がありました。
「中学までいた那須は観光地だったので、友達もホテルや旅館の息子が多かったんです。そこに遊びに行ったときに見た建築物がかっこよくて、自分も将来はこうした建物を作る仕事に携わりたいと思いました」
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