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藤原道長を抜き去り「スピード出世」意外なある男 道長の父・藤原兼家と兼通の熾烈なバトルも

東洋経済オンライン / 2024年2月18日 11時40分

藤原道長を演じる柄本佑さん(写真:NHK公式サイトより引用)

NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第7回は、藤原道長を追い抜きスピード出世した意外な人物を紹介する。

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藤原実頼が「名ばかり関白だ」と嘆いた背景

「流れがきっともう一度は来るはず」

【写真】藤原道長を抜き去り、スピード出世した藤原伊周。大河ドラマでは三浦翔平さんが演じる。

スポーツの試合でそんな実況を聞いたことがあるだろう。人の一生にも、また流れがある。よい流れに乗ることが大事だと。アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーは、こんなことを言っている。

「よい機会に恵まれぬ者はいない。ただそれをとらえられなかっただけなのだ」

時流に乗って若くして富豪になったカーネギーらしい言葉だが、藤原道長の父、藤原兼家もまた紆余曲折を経て「人生の流れ」を実感したことだろう。

兼家の父・藤原師輔は、兄の実頼をしのぐほどの才を持ちながらも、政権を握ることなく、病によって右大臣で死去。師輔亡きあとは、実頼が関白となるが、自らを「揚名関白」つまり、「名ばかり関白だ」と嘆いていたという。

というのも、村上天皇のもとには、師輔の娘である安子と、実頼の娘である述子が入内していたが、述子は早世。皇子女をもうけたのは安子のほうだった。

外戚になれなかった実頼は軽んじられて、代わりに実権を握ったのは、師輔の子どもたちである。つまり、同母の3兄弟である、長男の藤原伊尹、次男の藤原兼通、そして、3男の藤原兼家だ。

追い抜いたはずの兄に干された藤原兼家

天禄元(970)年、実頼が病死すると、名実ともに、師輔の子どもたちの時代となる。長男の藤原伊尹が、円融天皇の摂政に就くこととなった。

そんな伊尹の勢いに引っ張られるように、3男の兼家はその前年の安和2(969)年に中納言となり、次男の兼通を追い越すこととなる。さらに天禄3(972)年には、大納言まで出世している。

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