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苦手な人を「避ける」人が失ういくつもの大切な事 「わからない」を拒むと、「わかる」機会を失う

東洋経済オンライン / 2024年2月22日 18時0分

わかりあえない「他者」の存在が、なぜ重要なのでしょうか(写真:takeuchi masato/PIXTA)

あなたは、苦手だと感じる人や顔を合わせたくないと思う人はいるだろうか。だからといって、拒絶したり避けたりすることはしてはいけない。なぜなら、そのような人があなたに何か気づきを与えたり新しい知識を与えたりする可能性があるからだーー。

コンサルタントの山口さんは、「他者とは“気づき”の契機であるというものです。自分の視点から世界を理解しても、それは他者による世界の理解とは異なっている」と説きます。

※本稿は、山口周氏著『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』の一部を再編集したものです。

他者は自分以外の人ではなく、理解できない人のこと

エマニュエル・レヴィナス(1906─1995)は、フランスの哲学者です。幼少期よりユダヤ教の経典「タルムード」に親しみ、成人してからは独自の倫理学、エドムント・フッサールやマルティン・ハイデガーの現象学に関する研究を残したことで知られています。

レヴィナスの言う「他者」とは、文字通りの「自分以外の人」という意味ではなく、どちらかというと「わかりあえない者、理解できない者」といった意味です。

養老孟司先生の『バカの壁』という本が大変なベストセラーになりましたが、レヴィナスの「他者」をわかりやすく表現すれば、要するに「バカの壁が邪魔して通じあえない相手」ということになります。

レヴィナスが残したテキストはどれも極めて晦渋で、これを読む限り、レヴィナス自身はどうも「他者」という概念を、人以外の概念にも拡大して用いているようなのですが、よくわかりません。

ただ哲学研究者でもない私たちのような立場の人間がレヴィナスのテキストから何かを汲み取ろうというのであれば、まずはわかりやすく「他者とは、なかなかわかりあえない相手」ということで、良いと思います。

20世紀の後半になって「他者論」が大きな哲学上の問題として浮上してきたのには必然性があります。

哲学というのは、世界や人間の本性について考察する営みですが、では古代ギリシアの時代以来、膨大なエネルギーをかけて考察が積み重ねられてきたにもかかわらず、未だに「これが決定打!」とされるものが確定されないのは、なぜなのか。答えは明白です。ある人にとって「これが答えだ」とされるものが、決して「他者」にとってのそれではないからです。

連綿と「提案」と「否定」が続く、永遠に「完全な合意」に至らないかのように思える、この営みが、「わかりあえない存在」としての「他者」の存在の浮上につながったのでしょう。

レヴィナスが唱える「他者」の重要性

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