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スタバ「巨大企業帝国」がはらんできた数々の矛盾 矛盾に満ちた経営が、独特な共同体を作り上げた

東洋経済オンライン / 2024年2月25日 12時0分

しかし、その一方のソ連が崩壊したことによって共産主義というイデオロギーの自明性が無くなってしまう。また、その事態を加速させたのは2001年にニューヨークで発生した同時多発テロだろう。イスラム教とキリスト教という2つの宗教の争いであったこの事件において、「宗教」の正しさを無条件に信じることができる人は少なくなってしまったのではないか。

こうした事態は戦後から現代まで、ゆっくりと進んでいたが、特に1990年以降は極端に進んできた。

そんななか、全世界に出店を広げてきたのがスタバであった。

癒しの空間としてのスタバ

こうしてみると、次のようにいえるのではないか。つまり、共同体無き時代において、新しい共同体を提供したのがスタバだったのではないか。スタバが提供するある独特な共同体は、共同体無き人々に、新たな拠り所を与えたのではないか。

この点について、前々回の連載でも取り上げた京極一は『月刊食堂』の寄稿で、スタバの空間についてこう書いている。

旧来の社会的枠組みの中では希薄になるだけの同一性と結果としての和みを、確かにスターバックスのお客は獲得していた。(『月刊食堂』1998年9月号)

スタバの空間には「和み」があると京極は指摘する。ある種の精神的な拠り所としてスタバが機能していることを指摘するのだ。こうした「癒しの場所」としてのスタバが存在していたことは、次のような記事からも読み取れる。

2009年、スタバはリーマンショックにおける不況の煽りを受けて、開業後初めての赤字となった。このとき、全米の多くの店舗が閉店することになったのだが、それを受けて当時のウォール・ストリート・ジャーナルの社説には次のような記事が掲載されたという。

「スターバックスの閉店に反対する人を見て、近所のカトリック教会が閉鎖されたときに起こった反対運動を思い出した」と友人が言った。その通りだ。スターバックスは俗人にとっての教会のようなものである。静かで「礼儀正しく」とか「瞑想しましょう」とか注意書きが壁に貼ってあるわけでもないのに、みんなそうしている。(『スターバックス再生物語』、p.209)

興味深いのは、スタバという空間が「教会」と並べられていることだ。ある時代まで「教会」というのは人々にとって癒しを与え、救いを与える場所であった。その教会と同じような機能がスタバに認められているのだ。

ここまでの議論をまとめてみよう。

スタバはその「矛盾」に満ちた経営スタイルで、そこに独特な共同体を作り上げている。それは結果的に生まれたものかもしれないが、その共同体は、そこを訪れる人に「癒し」を与え、精神的な支柱としての機能も果たした。

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