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スタバ「巨大企業帝国」がはらんできた数々の矛盾 矛盾に満ちた経営が、独特な共同体を作り上げた

東洋経済オンライン / 2024年2月25日 12時0分

おりしもスタバがその店舗を拡大した1990年代は、「国家」や「宗教」といった、それまで人々の精神的支柱となってきたものの権威が失墜している時期であり、ある意味ではそのようなものの代わりに登場し、人々の受け皿になったのがスタバだったのではないか。

スターバックス・ネーションの誕生

ここで大胆な仮説を立ててみよう。

「スタバとは、一つの国家なのではないか?」

よく言われることだが、世界中どこでもスタバは同じ雰囲気で、同じ味を提供している。日本だろうが、アメリカだろうが、どこでもスタバのあの雰囲気は変わらないのである。ここには国境を越えた安心がある。まさに、スタバはスタバ自体が一つの「国」のようになっている。いわば、「スターバックス・ネーション」が誕生したのだ。

スタバのロゴである人魚のイラストは「国旗」であり、そのロゴが飾られたゲートを通るとき、私たちはスタバという国に入国している。パスポートは500円程度のコーヒー。あるいはフラペチーノでもいい。それを払う金銭的余裕さえあれば、誰でもそこに入国することが認められている。

店員たちは、スターバックス・ネーションの国家公務員だ。注文をするときの、あの、呪文のような言葉はスタバ特有の言語で、スタバ在住歴が長ければ長いほど、その言語のネイティブになってきて、こなれてくる。国内シェアNo.1のPCはもちろんMacのノートPC。

妄想がどんどん広がってしまうが、こんな風に「国家」に見立ててスタバを語ることができる。

ちょっと空想が過ぎたかもしれないので、補助線を引いておこう。哲学者のアントニオ・ネグリとマイケル・ハートは共著書である『帝国』という書籍の中で次のような議論を展開した。

ソ連崩壊以後、グローバル資本主義が世界を覆い、これまでの国家を超える存在として、グローバルな企業が世界的に覇権を握っていくのではないか。なるほど、スターバックスもまた、世界中に存在する巨大企業として、国家を超える存在となっているのかもしれない。

そういえばこれに関連して思い出したのだが、スタバの実質的な創業者であるハワード・シュルツは、かつてアメリカ大統領選挙への立候補を考えていたらしい。

結局色々な要因が重なってシュルツが立候補することはなかったが、シュルツが「国家」というものに大きな興味を持っていることがわかるだろう。シュルツはスタバという国家の大統領(それとも、建国者か)である。

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