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SNS多用する人に伝えたい、相手を傷つけない技術 文字によるコミュニケーションが難しい理由

東洋経済オンライン / 2024年3月3日 10時30分

文字で書かれている主張は多くの異なった意味に解釈されうるという特徴がある。こうした多義性〔による混乱〕の多くは、話しぶりという情報さえあれば解決してしまうようなものなのだ。

皮肉はその例の一つで、 文字でのチャットだと、口頭で話しているときよりもはるかに気づきにくくなる。そこで皮肉を表すためだけに使う〔「!」や「?」のような〕記号を開発しようという試みがあるくらいだ。

加えて、話し言葉では強調する位置を変えることで、語の意味を変えることができる。例えば、「それはフェアではないと私は思います」という発話において、どの語に強調を置くかによって意味が変わってくる。

強調する部分を太字であらわすと、「それはフェアではないと私は思います」は、「個人的にはフェアはないと思う(が、他の人がどうかは知らない)」ということだし、「それはフェアではないと私は思います」は、「〔ふわっと思っているだけで、そこまで確固たる考えではないという意味で〕フェアかそうではないかは正直決めきれない」という意味になる。

こういうニュアンスは話し言葉だと明らかだが、書き言葉だと色々と推察しなくてはならない。ひとたび意味を間違って受け取ってしまうと、会話は脇道に逸れ、不毛な分断を煽るだけの議論になってしまいかねない。

プラットフォームごとに特性は異なる

こういった問題のせいで文字によるコミュニケーションはずっと難しいものにならざるを得ないのであって、それはプライベート〔なやりとり〕でも事情は変わらない。

ただ、ソーシャルメディアは基本的には公開されたもので、公開の場での会話の力学は非常に異なったものになるだろうし、参加者があなたとそのパートナーという思慮深い二人だけだということはほぼない(この問題についてはすぐ後でまた触れる)。

対面の会話は、豊かな「音楽」や「ダンス」とでも言うべき、声のトーンやボディ・ランゲージによって彩られているわけだが、それらを欠く文章でのコミュニケーションはただでさえ難しい。ソーシャルメディア上での会話は、先の要因によって、〔普通の文章コミュニケーションよりも〕さらに困難なものになっている。

さらにややこしいことに、各ソーシャルメディア・プラットフォームはどれも異なったインフラを有しているがために、それぞれが特有の問題を突きつけてくる。

例えば、ツイッター〔X〕では一つのツイート〔ポスト〕ごとに280文字の上限があり、〔投稿された情報の〕ほとんどが公開されている。

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