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「辛口な紫式部が歌を絶賛」恋に生きたある女性 清少納言に対してはパンチの利いた言葉で批判

東洋経済オンライン / 2024年3月3日 7時50分

メッセージを送った相手は「童友だち」だと紫式部自身が詞書きで説明している。具体的に誰なのかまではわかっていないが、時期としては紫式部が成人した頃だとみられている。

花山天皇が突然の出家に踏み切り、父の藤原為時がようやく得た官職を失ってしまった頃だ。言うまでもなく、父の失職は娘である紫式部の生活にも大きく影響したに違いない。

自身に降りかかる苦難にかかわらず、いや、人生がままならないからこそ、といったほうがよいだろう。紫式部は、どんなときも和歌を詠み、創作活動をし続けたのである。

そんな和歌に優れた紫式部が、『枕草子』の作者である清少納言のことを、こき下ろしたことはよく知られている。

紫式部もまさかこれほど後世で広められるとは思ってもいなかっただろう。改めて『紫式部日記』での該当部分を読むと、なかなかパンチの利いた書きっぷりである。

「清少納言は得意顔をして、とんでもない人です。あそこまで利巧ぶって漢字を書き散らしていますけれど、よく見れば学識の程度も、まだまだ足りないところだらけ」

その一方で、紫式部が高く評価した才女が、歌人の和泉式部である。

和泉式部は、平安時代の中期に活躍したことはわかっているが、生没年も本名も明らかではない。

紫式部も同じく本名はわかっておらず、「紫式部」の名は父の職場だった「式部省」からとられたとされている。和泉式部の場合は、夫の官職からその名が取られたようだ。夫は和泉国守を務めた橘道貞である。

和泉式部といえば『小倉百人一首』に収録されている次の和歌が有名だ。

「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな」

現代語訳をすると「わたしはもうすぐ死んでしまうでしょう。わたしのあの世への思い出になるように、せめてもう一度だけあなたにお会いしたいものです」というもの。『百人一首』の歌の中でも情熱的な歌ともされている。 

恋に生きた和泉式部

この歌からもわかるように、和泉式部は恋に生きた女性だった。結婚後は小式部内侍という娘を産むが、そのときに人からこう聞かれたという。

「父親は誰に決めましたか」

ずいぶんと失礼な質問だが、それだけ男性との交流が多かったようだ。
小式部が生まれた翌年、和泉式部は、冷泉天皇の第三皇子にあたる為尊親王と恋に落ちる。夫の道貞とは離婚。さらに父からも勘当されて見放されてしまう。

それだけでも十分インパクトのある恋愛話だが、為尊親王が病死するという不幸に見舞われると、今度は為尊親王の弟・敦道親王とも、恋仲になるという奔放ぶりを見せた。

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