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江戸幕府が唯一公認した「人気の賭け事」その正体 碁や将棋、双六といった勝負事での賭けは厳禁

東洋経済オンライン / 2024年3月9日 18時0分

富突を描いた『萬々両札のつき留』(ボストン美術館所蔵)

賭け事が盛んだった江戸時代において、幕府が公認していたのは「富突」でした。富突とはどんなものなのか。そしてなぜ富突だけを許していたのか。その裏側について歴史家の安藤優一郎氏が解説します。

※本稿は安藤氏の新著『江戸時代はアンダーグラウンド』より、一部抜粋・再構成のうえお届けします。

総じて賭け事がさかんだった江戸時代

江戸時代、総じて賭け事は盛んであり、武士の間でも碁や将棋、双六といった勝負事での賭けが珍しくなかった。当然、幕府や藩は、碁や将棋などでの賭けを厳禁している。刃傷沙汰のようなトラブルの原因となるとして、碁や将棋を指すこと自体、禁止する事例さえみられた。

【図】江戸時代版宝くじを楽しむ人々

しかし、幕府や藩は喧嘩両成敗の方針のもと、武士どうしのトラブルを抑え込むことに躍起であったものの、賭け事の禁令は有名無実化していた。碁や将棋、双六での賭けは繰り返し禁じられたものの、禁令に効果はなかった。

もっとも、それは賭博犯を処罰しなかったことを、意味したわけではない。幕府や藩は、摘発した者を厳罰に処している。ケースバイケースではあったが、遠島や追放などの重罪が科される事例は多かった。死罪という極刑も珍しくない(江戸初期にその傾向が強かった)。

しかしそれでも、賭博を根絶することはできなかった。庶民にとっても事情は同じで賭け事は横行しており、根治することは事実上、不可能だった。庶民の身近な賭け事は賽子やかるたを使ったものだが、現代の宝くじにあたる富突も外せない。

幕府が唯一公認した合法的な賭け事でもあった。幕府は何であれ賭け事の公認には消極的だったが、寺社主催の富突に限り、許可制とすることで公認した(理由は後述)。

幕府の許可を得た富突は御免富と呼ばれた。富突自体は合法的なものだったが、いつの世にも悪だくみをする者はいるもので、富突を利用した幕府非公認の賭け事も、横行することになってしまう。

2日に1度は行われるほど人気を博した「御免富」

まずは、富突の仕組みから解説しよう。参加者は、寺社が販売する富札を購入する。富札には、「子の八十八番」などの番号が付けられており、番号が抽選会であたれば賞金ゲットというわけだ。

抽選会は、寺社の本堂や拝殿が使用されることが多かった。抽選方法は独特で、発売された富札と同じ番号の木札を箱に入れ、箱の小穴から錐で木札を突き、当たりを決める仕組みであった。当たり札を突くシーンは時代劇で描かれることも多い。

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