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女流歌人をイジる「藤原道長」への"痛快な反撃" 子供の様な行為にぎゃふんと言わせた和泉式部

東洋経済オンライン / 2024年3月10日 7時30分

藤原道長を演じる柄本佑さん(写真:大河ドラマ公式インスタより引用)

NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第10回は恋に奔放だった和泉式部と藤原道長のやりとり、紫式部が手放しで評価した赤染衛門のエピソードを紹介する。

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藤原道長の「浮気女!」に反撃した和泉式部

「気軽な気持ちで手紙を書いたとき、文筆の才能を感じさせる。ちょっとした言葉にも、香気を放つのが見える。詠む歌はたいそう興味深いものです」

【写真】凰稀かなめさん演じる赤染衛門。紫式部は赤染衛門を手放しで評価している。

(「うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見えはべるめり。歌はいとをかしきこと」)

『紫式部日記』を読み解くと、紫式部が歌人の和泉式部のことを、そんなふうに高く評価していたことがわかる。

紫式部は寛弘2(1005)年頃に、そして和泉式部はその約4年後の寛弘6(1009)年に、ともに一条天皇の中宮・彰子のもとに出仕している。

同僚だったこともあり、和泉式部のプライベートも紫式部はよく知っていたのだろう。歌の才能を認めながらも、「和泉にはちょっと感心できない点があるけれども」(「和泉はけしからぬかたこそあれ」)と苦言を呈している。

和泉式部は、20歳頃に橘道貞と結婚。夫が和泉国へ赴任すれば、自身も和泉へ出向くなど夫婦仲は良好だった。2人の間には、小式部内侍(こしきぶのないし)という娘も生まれている。

だが、新婚時期も終わって京に戻ると、和泉式部は冷泉天皇の皇子、為尊親王と恋に落ち、さらに為尊親王が病死すると、今度は弟の敦道親王との恋愛をスタートさせた。

たとえ周囲から、どれだけたしなめられたとしても、和泉式部は気にも留めなかったようだ。なにしろ、スキャンダラスな関係を『和泉式部日記』で、自分から堂々と描いているのだから、肝が据わっている。いわば、現代でいうところの「暴露本」だ。

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