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「倍速消費」並みになった合意形成のスピード感 政策が次々と「検討なく」決められている理由

東洋経済オンライン / 2024年3月14日 9時30分

関連して思い出されるのが、『新自由主義と脱成長をもうやめる』で古川さんがおっしゃった「PDCAサイクル」をめぐる話。もともとこれは、自分たちで目標を立てて実行し、結果を踏まえて改善を重ねることでした。ところが日本の大学の場合、なぜか目標は「お上」が勝手に決める。現場の人間は、どうやったらそれに適応するかを必死に考えるだけになっている。瓜二つではありませんか。

古川:PDCAサイクルは、佐藤さんがおっしゃった「意地になって強行する政治」にとってきわめて好都合です。なぜなら、あれは政策立案者が責任を免れる構造になっているからです。立案者が「目標」を定めて、それを現場に丸投げする。現場はその目標を達成するための「計画」を立てて、それをひたすら「改善」し続ける。こういうシステムですから、成果が上がらなくても、それは「目標」が間違っているのではなく、それを達成するための「計画」が不十分だからだということになり、「目標」を立てた政策立案者自身は永久に免責されることができるんです。「改革の理念は正しい。成果が上がらないのは、現場に『抵抗勢力』がいるからだ」という、あちこちで見られる改革派たちの理屈と、まったく同じです。

本来のPDCAというのは、Pの中に「目標」も含まれていますから、目標そのものが正しいのかどうかも、絶えず「反省・改善」していかなければなりません。「目標」を立ててみたが、いろいろ反対意見が出たとか、少しやってみたらまずい結果になったとか、そういう場合は、すぐに「目標」そのものを「反省・改善」しなければならないはずなのに、それは絶対にやらない。だから本当は、「PDCAを回せと言っているお前たち自身が、いちばんPDCAを回してねえじゃねえか」っていう話になるんですよ。

佐藤:「決められない政治」などと批判されていた頃のやり方こそ、じつは正しいPDCAサイクルの姿であり、現在PDCAと呼ばれるのは硬直した権威主義であると。

古川:そのとおりです。本来は自分たち自身で目標を設定するシステムですし、慎重な検証と「なるべく小さな」修正を繰り返していくシステムですから。

あともう1つ問題だと思うのは、どんな批判があっても一切耳を貸さないという、ごり押しの態度を取り続けられると、批判するほうも「もう何を言っても無駄だ」という学習性無力感のようなものが募ってきて、批判する気もなくなってくるんですよね。

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