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大崎駅、ビジネス拠点に変貌した「鉄道の町」の今 再開発で利用者急増、山手線の車両基地もある

東洋経済オンライン / 2024年3月14日 6時30分

橋上駅の大崎駅と東口側のビル群(筆者撮影)

目黒駅の所在地が品川区上大崎であり、五反田駅に近接して大崎広小路駅や大崎橋が存在するなど、大崎との地名はもともと、かなり広い地域を指していた。

【写真】鉄道の一大ジャンクションでもある山手線の大崎駅。周辺はどのように発展してきたのか。

1889年には上大崎村、下大崎村などが合併して大崎村が成立。1908年には町制を施行し、1932年に東京市品川区に編入されるまでは荏原郡大崎町であった。

その範囲からすると、山手線の大崎駅はかなり南に偏った場所にある。大崎町役場は五反田にあったが、それもまったく関係なく、目黒川沿いの田圃の中に設けられたのだった。

大きな岬が地名の由来?

地名の由来には諸説ある。江戸湾(東京湾)に突き出るような大きな岬(崎)ではないかとも言われている。俯瞰してみると、高輪台地から御殿山、さらには品川神社付近を先端として延びる丘陵地は大きく、細く、岬のように見える。

山手線は御殿山を切り崩して堀割で抜けるように建設されており、品川―大崎間でほぼ南から北へと進行方向を変えるような急カーブを線路をきしませながら走る。駅間距離は2.0kmあり、これは山手線で最長だ。

前身の日本鉄道品川線(品川―赤羽間)が1885年に開業したとき、駅は渋谷、新宿、板橋しかなく、すぐに目黒、目白が設けられたものの、しばらくはそのままで推移した。

この鉄道は群馬県の生糸を輸出港である横浜まで運ぶことを主目的としていたが、新橋への乗り入れを考慮し、横浜へは品川駅での折り返し運転とされた。それゆえ、横浜へ直進できるような連絡線も1894年に建設された。東海道本線との合流点は現在の大井町駅付近であった。

鉄道の分岐点に旅客駅を設置

その連絡線が分岐する地点に設けられたのが大崎駅だ。1901年2月25日の開業で、品川線の旅客駅としては目黒、目白に次いで古い。ただ、周囲の集落もさほど大きくはなく、当初の乗降人数は極めて少なかった。

江戸時代からの大集落であった品川宿から品川駅が離れていたため、若干近い大崎駅へ出る利用客はあったかもしれない。しかし、当初は分岐点の信号場のような役割が主だったのではないかとも思われる。

1915年、各種車両の検査、修繕を主な目的とした大井工場が開設された。従来は新橋駅構内にあったものだが、車両数が大幅に増えて手狭になったため、大崎駅にほど近い土地に移転したのである。

そして、この工場への出入場のために先述の連絡線が転用され、営業列車が通らなくなった。前年には東京駅が開業しており、旧新橋駅が貨物専用の汐留駅になっていたため、貨物列車の運転に大きな支障がなくなっていたものと思われる。

大井工場開設後ジャンクションへと進化

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