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92歳「嫌われた"球界の最長老"」広岡達朗の真実 プロ野球の「洗礼」で目覚めた広岡野球の原点

東洋経済オンライン / 2024年3月20日 11時0分

球界最老長の広岡達朗。今もPIXTAなお多くの野球好きの耳目を引き、メディアで大いに人気を集めている(写真:Graphs/)

現役時代は読売ジャイアンツで活躍、監督としては1970年代後半から1980年代中盤にかけてヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた広岡達朗氏。

実に70年もの間、プロ野球を内外から見続け、そして戦い続けてきた“球界の生き字引”の眼力は92歳になっても衰えず、今もなお球界を唯一無二の野球観で批評しつづけ、多くの野球好きの耳目を引き、メディアで大いに人気を集めている。

球界最老長の広岡達朗とともに球界を生きたレジェンドたちの証言から構成された、ノンフィクション作家・松永多佳倫氏の著書『92歳、広岡達朗の正体』より、広岡達朗の足跡を一部抜粋・再編集してお届けする。

*この記事のつづき:92歳「"球界の嫌われ者"の言葉」が圧倒的に響く訳

「レジェンドたち」がずらりと並ぶ読売巨人軍に入団

広岡達朗が読売巨人軍に入団したのは、昭和29年。

戦争が終わってから9年後、戦後の爪痕がまだ残ってはいるが、壊滅状態からの危機は脱し、ようやく混乱期を抜けた感がある頃だ。

当時の巨人は第二期黄金世代と言われ、煌びやかなメンバーばかりが名を揃えていた。

投手陣には、エースの別所毅彦、日本プロ野球初の完全試合達成者である藤本英雄、大友工、中尾碩史。キャッチャーには日系二世の広田順一、ファーストに川上哲治、セカンドに千葉繁、サードに宇野光雄、ショートに平井三郎。そしてレフトに岩本尭、センターに与那嶺要、ライトに南村侑好。さらに、監督には水原茂と、プロ野球黎明期のレジェンドたちがずらりと並ぶ布陣だ。

「六大学野球のスター選手」として鳴り物入りで巨人に入団した広岡だったが、今の時代のように球団をあげて歓迎ムードで迎えられたわけではなかった。

前出のレギュラー陣を見ても一癖も二癖もあるメンツばかり。六大学野球のスターだろうが、もろ手を挙げて歓迎するようなお人好しは一人もいない。

グラウンドに入れば、自分以外はライバル。この生存競争の激しさこそが当時の巨人の強さを支えていた。

ルーキーの広岡がもっとも面食らったのは、入団まもない頃のバッティング練習での出来事だ。

入団後、早々に受けた先輩からの「洗礼」

バッティングケージに入ってカーン、カーンと快音を響かせながら10球ほど打っていると、どこからともなくバットが飛んできた。

「なんだ?」

周りを見ると、ゲージの近くに立つ南村侑好の姿が視界に入った。南村は、早稲田大学の先輩でもある。

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