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日ハム時代の大谷翔平が語っていた確かな「予測」 追い求める理想の体は「しなる棒のイメージ」

東洋経済オンライン / 2024年3月20日 11時20分

これまで大谷は2年連続で「勝てる投手になりたい。チームに勝ちをつけたいという意味」で「勝」を選んできた。2014年はプロ野球史上初の同一シーズンでの「2桁勝利&2桁本塁打」を達成。2015年は「15勝&打率3割」というさらなる目標を設定し、その先にチームのリーグ制覇を見据えていた。

2014年はソフトバンクとのCSファイナルステージで、あと1勝で日本シリーズ進出を逃しただけに、「話を聞くと面白そうなので、"ビールかけ"をやってみたい」と、秋に味わう勝利の美酒を思い描いた。

1月8日には"大谷らしい"出来事があった。

新年初ブルペンの時期が注目される中、大谷は報道陣に「ブルペン入りはいつにするか決めていません」と話した。だが、打撃練習を終えて合宿所に戻った約1時間後に再び室内練習場に姿を現し、ブルペン投球を始めた。

この日は、前年秋にドラフト1位指名された有原航平(現ソフトバンク)ら新人7選手の入寮日。大谷のブルペン入りは、室内練習場の様子が見えないグラウンドで、多くのメディアが新人選手を待ち構えているタイミングだった。

同日はスポニチを含む多くの担当記者が「1人体制」だったため、大谷の新年初ブルペンの取材を逃す結果に。練習を見られることが苦手だった当時の大谷からしてみれば、狙い通りメディアを撒くことに成功した。

私は「絶対、このタイミングを狙ってブルペンに入ったな〜」と、他紙の記者と笑い合った。

大谷が「20歳の誓い」で語ったこと

この3日後の1月11日。大谷は岩手県奥州市の成人式に出席した。驚いたのがこの時の会見だった。

あるメディアから「20歳の誓い」を求められると「"義務も権利"も出てくる。私生活もそうですし、そこを大事にしたいです」と、力強く語った。義務も権利も考えたことがなかった20歳の頃の自分が恥ずかしい限りだ。

20歳になれば当然、社会人としての責任も増える。勤労、納税という義務を果たす一方で、選挙権(当時)も与えられる。

では、プロ野球選手として夢と希望を与えるプレーを見せるために何ができるか。大谷なりに野球人としての「義務と権利」を考えていた。

「一塁まで全力疾走することは打者の権利でもあり、試合に出ていない選手のために走る義務でもある。試合に出る以上はそこを大事にしたい」

出した答えは「全力疾走」だった。尊敬する稲葉篤紀氏のモットーでもある。

大谷自身も、花巻東時代から凡打しても一塁後方の芝生の切れ目まで駆け抜けるよう指導されるなど、全力プレーへの意識は高い。

将来に見据える「170キロ超え」についても質問が飛んだ。夢の大台。「球速に関するこだわりは年々減ってきている」としたが、「誰しもが無理と思う数字。でも直球は持ち味で一番の長所なので目指す価値はある」と言った。

肩を小突き合い、談笑する姿は20歳の青年そのもの。スポーツ紙のプロ野球担当記者にとって成人式は、高卒若手選手の取材の定番のひとつだが、大谷がグラウンドを離れても「義務と権利」という言葉の力で異彩を放っていたのは言うまでもない。

柳原 直之:スポーツニッポン新聞社MLB担当記者

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