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「病的な先延ばし」から抜け出せない人"3大"盲点 精神科医・禅僧がすすめる「無心になる」練習

東洋経済オンライン / 2024年3月21日 10時0分

知識や教養を身につけるのは当然ながら大切なことです。

しかし同時に 「考えすぎて動けなくなってはいけない」という戒めが、禅にはあるのです。

そのため、禅では「無心になって、何かをする」修行を繰り返します。

その効果は、神経科学の視点からも説明することができます。

すなわち、禅の修行の効果とは、人の「注意容量」を奪うことです。

ある瞬間に人間が何かに向けることのできる注意の量(注意容量)には限りがあります。

時に心身ともに追い込まれるような修行によって注意容量を消費すれば、他のことに気をとられる心配がなくなります。

これを習慣化すると、いつでも「今、この瞬間」やるべきことに、意識を集中できるようになるのです。

【盲点③】意識を「理屈」で変えようとしている

こうした修行を経て、禅僧はよい意味で「バカ」になっていきます。

言い換えれば、修行を積んだ禅僧とは「臨機応変に動ける人」そのもの。

常にモメンタムが高い状態を維持しています。

私の先輩で、長く老師(禅の指導的立場にある人)の付き人を務めた方は、日頃は穏やかでのんびりして見えるのですが、遠くで老師が何か探し物をしているのが視界に入るや否や瞬時に駆け寄り、必要としている物を差し出していました。

もちろん、その時々で入り用なものは異なります。

法要前なら仏具、食事中なら食器や調味料、身支度をされているときなら衣服やカバンと多岐にわたるのですが、老師が何を言うわけでもないのに、その先輩はいつも的確に応じられていて、とても感銘を受けたものです。

大切なのは、頭(理屈)から入るのではなく、身体から入ること。

意識を変えたければ、行動から変えることです。

思えば、日本人が昔から「文武両道」を重んじてきたのも、同じ狙いがあったのかもしれません。

勉強ばかりではモメンタムが落ち、行動できなくなる恐れがあるところ、運動によってドーパミンの分泌を促し、モメンタムを維持する。

禅僧は、文武両道の達人、ともいえそうです。

私自身はまだまだ修行半ばの身ですが、そうなれるようにこれからも精進してまいる所存です。

川野 泰周:臨済宗建長寺派林香寺住職/精神科・心療内科医

恩田 勲:JoyBizコンサルティング代表取締役社長/一般社団法人日本モメンタム協会理事

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