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35歳でNTT辞め、たどり着いた野球とITの最先端 選手の進化をスポーツ科学で促すネクストベース

東洋経済オンライン / 2024年3月22日 11時20分

「リリースポイントが何センチずれるとこんなピッチングになるとか、数値で語り始めたんですよ。最初は『わかるわけないだろう!?』と思いましたが、すごく新鮮だったので、名刺交換して『さっきの話、もうちょっと聞かせてください』と食事に誘って話を聞いたのが始まりです」

中尾氏の野球選手としての「勘」とビジネスの「嗅覚」が、神事氏の話に敏感に反応したのだ。

「バイオメカニクス(生体力学)などの専門家は堅苦しい専門用語や、英語を使って現場の人にはよくわからない説明をすることが多かった。でも神事は当時から、講演でもそれをわかりやすく話していましたし、私などがわからないながらも質問をすると、明確な回答を返していた。ぜひ、これを現場に落として事業にしたいと、1年間口説きました」

中尾氏に口説かれた神事氏は、今や日本だけでなく海外でも注目される野球バイオメカニクスの第一人者だ。

小学校から中京大学まで野球をするが、肩の故障と腰椎ヘルニアを発症して1年で選手を断念した。

「大学でバイオメカニクスに触れて面白かったので、大学院に行ってもっと勉強しようと思いました。中京大学大学院には世界的に有名な桜井伸二先生(中京大学スポーツ教育学科教授、現日本バイオメカニクス学会会長)がおられて、最先端の勉強をさせていただきました。大学院の先輩には室伏広治さん(アテネ五輪金メダリスト、現スポーツ庁長官)などもいて、そんな中で僕は『ボールの回転』に関する研究をしていました」

大学院を経て、院の助手を3年勤めたのちに2007年から国立スポーツ科学センター(JISS)のスポーツ科学研究部研究員になる。

「JISSではアスリートの支援と研究を担当し2008年の北京オリンピックでは、金メダルを取った斎藤春香監督率いるソフトボールチームを担当しました。投手をサポートするとともに、アメリカのモニカ・アボットやキャット・オスターマンなどエース級の投手の攻略を考えていました」

三木谷氏の指示で「トラックマン」が導入

JISSの任期満了後の2012年、国際武道大学体育学部助教に就任。この時期、日本に弾道計測器「トラックマン」が初めてもたらされた。

「楽天グループの三木谷浩史オーナーの指示で『トラックマン』の導入が決まった。そして僕に楽天から『うちにはそういう人材がいないので、この機器で分析してくれないか』というオファーがあった。そこで大学との兼務で『トラックマン』の担当になりました。

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