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道長から厚い信頼「安倍晴明」権力者達が頼る実力 40歳の時はまだ学生、遅咲きながら政権で活躍

東洋経済オンライン / 2024年3月24日 7時50分

そんな忯子からの手紙を「日ごろ破り残して御身も放たず御覧じける」、つまり、普段から肌身離さず持ち歩いて、事あるごとに読んでいたのに、宮中に忘れてきてしまった。

花山天皇が「しばし」といい、取りに戻ろうとするが、道兼は容赦なかった。「どうしてこのように、未練がましく、お思いになりなさったのですか」(いかにかくは思し召しならせおはしましぬるぞ)と説き伏せて、寺へと強引に連れて行くこととなった。

もし、花山天皇が翻意して出家をとりやめてしまえば、台無しになる計画だ。まさに綱渡り状態であり、失敗する可能性もあった。

それにもかかわらず、花山天皇の退位をいち早く予見した男がいた。陰陽師の安倍晴明である。

道兼が花山天皇を連れ出したときに、土御門通を東に向かって行き、ちょうど安倍晴明の家の前を通った。そのとき晴明はまだ、家の前を天皇が通っていることに気づいていなかったが、察知するものがあったらしい。手を激しく叩いて、こう命じたという。

「帝がご退位なさると思われる天の異変があったが、すでに成ってしまったようだな。宮中に参内して報告しに行こう。車の準備をしろ」

このときに安倍晴明は「取り急ぎ、式神一人、参内して、状況を見て参れ」とも言っている。「式神」とは目に見えない精霊の一種のことで、式神を通じて、安倍晴明は天皇が家の前を通った事実を知ったのだという。

その後、花山天皇が本当に退位したことを知った周囲は、安倍晴明の言動にさらに注目したことだろう。

40歳の時点では「優秀な学生」にすぎなかった

安倍晴明といえば、若い美男子の陰陽師としてフィクションではしばしば描かれるが、実際には、最も活躍したのは60代後半から80代の頃だった。

それ以前の安倍晴明の様子がわかる記録はそれほど多くはないが、天徳4(960)年には、陰陽寮(おんようりょう)という、卜占、天文、暦、時刻などをつかさどる役所に勤務していたようだ。

身分としては「天文得業生」であり、気候の変異から吉凶を察知する「天文道」を学びながら、天文の観測を行っては博士に報告する、いわば特待生だった。

このとき晴明はすでに40歳だったにもかかわらず、優秀とはいえ学生にすぎなかったということである。まさか、自分が政治の行く末を左右する存在になるなど、思いもしなかったことだろう。

それから10年以上の月日が流れて、52歳~54歳の頃には天文博士となり、「天文密奏(てんもんみっそう)」という重要な職務を担当している。天文密奏とは、異常な天文現象が観測された場合に、観測記録と占星術による解釈を天皇に報告することをいう。

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