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道長から厚い信頼「安倍晴明」権力者達が頼る実力 40歳の時はまだ学生、遅咲きながら政権で活躍

東洋経済オンライン / 2024年3月24日 7時50分

さらに安倍晴明は医療に携わることもあった。花山天皇が頭痛に悩まされたときは、どんな手を尽くしてもよくならないので、安倍晴明が頼りにされたようだ。晴明は、こんなふうに説明したという。

「前世のドクロが岩の狭間に落ちて挟まっています。雨が降ると岩が膨張してドクロを圧迫するので、現世でこのように痛まれるのでしょう。療治で治るはずはありません。ドクロを取り出して広い場所に置けば、おそらく平癒されるのではないでしょうか」

場所を詳しく聞いた御所の使者が、吉野山に行って探索してみたところ、確かにドクロが岩の間に挟まっていた。それを取り除いたら、花山天皇の頭痛も治ったという。

そのほか『小右記』によると、藤原道長や三条天皇も、安倍晴明を呼び出しては「招魂祭」という儀式を執り行わせて、生き霊などの物の怪を取り払うことで、病から逃れようとしていたようだ。

ドクロを取り出すことで花山天皇の頭痛が緩解したのも、精神的な効果が大きかったと思われる。

たまたま吉野山でドクロが岩山に挟まっているのを目にして、安倍晴明はそれをいつか使おうと思って覚えていたのではないか……とするのは、うがった見方だろうか。

一条天皇の病も治癒させて昇進

そんな安倍晴明の活躍がピークを迎えたのは、前述したように、60代以降のこと。ちょうど一条天皇が即位し、藤原兼家が摂政となり、やがて兼家の5男にあたる藤原道長が、権力を手中に収めようという頃のことだ。

一条天皇は体が弱かったため、永祚元(989)年には、正月に消化器のトラブルで病に伏せた。このときも安倍晴明が祈祷で治癒させたという。その功績から、正暦4(993)年には「正五位上」(しょうごいのじょう)へ昇進を果たす。

遅咲きながらも、政権の中枢で影響力を発揮した安倍晴明。45歳も年下だった藤原道長の信頼を勝ち取ることにも成功し、権力者をサポートし続けることとなった。


【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
斎藤英喜『安倍晴明 陰陽の達者なり』(ミネルヴァ書房)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)

真山 知幸:著述家

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