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「MMT」はどうして多くの経済学者に嫌われるのか 「政府」の存在を大前提とする理論の革新性

東洋経済オンライン / 2024年3月25日 9時0分

こうした現実があるにもかかわらず、主流派経済学やマルクス経済学はなぜ商品貨幣論に固執するのであろうか。

実は、その背景には、固執せざるを得ない両学派の理論構造がある。

主流派経済学が中核とする一般均衡理論は、フィクションでしかない物々交換経済をモデル化したものである。

したがって、モデルの内に貨幣を取り入れようとしても、物々交換の派生物である商品貨幣しか導入できない。一般均衡理論の大家として著名な英国の経済学者フランク・ハーンは、法定不換貨幣を導入しようと長年にわたって取り組んだものの、ついに満足できる結果を得られなかった。

そして、同様な構図はマルクス経済学にも当てはまる。

「物質的生産力によって規定される経済的構造(下部構造)が歴史発展の原動力であり、その諸段階に応じて政治・法律・宗教・芸術などの社会的意識形態が上部構造として形成される」という史的唯物論を前提とするマルクス経済学では、原理論の段階では「政府から自立した商品経済」を想定するがゆえに、商品貨幣以外の貨幣を導入しようとすると、やはり理論モデルに矛盾が生じてしまうのだ。

つまり、主流派にせよマルクス派にせよ、「政府がなくても商品経済やその交換手段たる貨幣は成立する」という世界観を有している点では同根であり、それゆえ一致して商品貨幣論に固執する。

同様に、そうした世界観から、「政府の活動は総じて市場経済を非効率にする」「政府は所詮ブルジョワ資本家の手先である」と論拠はそれぞれ異なるものの、共に政府という存在を否定的に捉える傾向がある。

しかし、歴史学・人類学・宗教学などの知見を総合すれば、近代的な主権国家の登場前も含め、古代以降の様々な貨幣は「神」を含む主権者との関係に基づいて成立していると考えられるのであって(詳細は拙稿「公益的債権としての主権貨幣」参照)、そうした世界観はやはり非現実的ではないだろうか。

「政府」の存在を大前提とするMMTの革新性

対するMMTの理論モデルは、主権を有する政府が民間向けに貨幣を発行して支出するところからスタートする。

つまり、商品経済も貨幣も政府の存在を大前提として成立するという点において、主流派やマルクス派とは根本的に異なる世界観を有しているのである。

そもそも、クナップが属したドイツ歴史学派を主導したのは、主流派の自由市場主義ともマルクス派の共産主義とも一線を画し、国家の機能を重視した社会改革を提案することを目的として1872年にドイツで設立された「社会政策学会」であった。

そうした伝統がケインズを経由してMMTに受け継がれ、貨幣理論から政策論に至るまで首尾一貫した、従来の経済学に代わる現実妥当性の高い理論体系が形成されつつあるのではないだろうか(ただし、『MMT講義ノート』のまえがきやあとがきでも述べたとおり、MMTの各論には表券主義も含めて改善・発展の余地があり、相応の「バージョンアップ」を行うべきだというのが、筆者の見解である)。

したがって、主流派経済学者ミルトン・フリードマンが新自由主義をもたらし、斎藤幸平氏のようなマルクス主義者が脱成長を説く現代において、『新自由主義と脱成長をもうやめる』の第2章でMMTが登場するのは、半ば必然の流れかもしれない。

島倉 原:経済評論家、株式会社クレディセゾン主席研究員

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