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アドラー『嫌われる勇気』で生じた2つの「誤解」 「トラウマは存在しない」説と「課題の分離」

東洋経済オンライン / 2024年3月26日 19時0分

ただ、「課題の分離」は、人間関係に悩む人の「最終解決策」ではないのです。

親子の関係を例に

例えば、親子の関係です。親が「部屋を片付けてほしい」と言ったところ、子どもが不機嫌になったとします。

子どもが不機嫌なのは、子どもの課題です。子どもが「部屋を片付けない」のも子どもの課題です。

けれどもこのときに課題の分離をして、親が子どもに対し、「私は『部屋を片付けてほしい』と思っているが、その思いをどう受け取り、行動するかはあなたの課題であり、私の課題ではない」というスタンスをとったとします。

「これはあなたの課題です。私の課題ではありません」ということです。けれどもそこで終わると、親の心は楽になっても、子どものほうは突き放されたように思うことがあります。

子どもが「自分は大事にされてない」と感じたりするのです。

ですから、「部屋を片付けてほしい」と提案し、最終的に片付けるかどうかは「子どもの課題」ではあるけれど、「一緒に考えよう」と「共同の課題」を設定するのです。

この「共同の課題」を設定することが、人間関係に悩む人にとっての最終解決策であり、とても大切なポイントです。

「部屋を片付けてほしい」のは、「親の課題」です。親が勝手にかけた子どもへの期待です。子どもがそれをどう受け取るかは「子どもの課題」です。

親自身が、「子どもが言うことをきかない」とイライラしたり、「片付けなさい!」と一方的に口を出してしまうと「相手の課題に土足で踏み込む」ことになってしまいます。

この場合、「課題の分離」を用いてお互いの課題をいったん分離し、その次にお互いが協力して取り組む課題として「共同の課題」を設定するのです。

「夕飯までには片付ける」「ボックスに入れるだけにすれば片付けやすいのでやれる」などと、やり方や期限についてお互い落ち着いて相談し合うのです。

つまり「課題の分離」は、「いったんもつれてしまった人間関係の糸をほぐすためのもの」です。その先には、必ず協力関係を置いているのです。

「課題の分離」は、いわば「共同の課題」の「前段階」のステップなのです。

上司・部下の人間関係でもよくある話

「注意したのにいうことを聞かない」とか、「ちゃんと教えたのに何も変わらない」と怒る親は少なくありません。

こういう「私が○○○したのに、相手は変わらない」という悩みは、親子でも上司部下でも、友人でも、パートナーでもよくある話です。人間関係をこじらせてしまう原因になりがちです。

こうした悩みに、「私の課題」と「相手の課題」を切り分け(課題の分離)、そのあとに、お互いどうしたらいいかを落ち着いて話し合うのが「共同の課題」なのです。

「課題の分離」の一面だけが取り上げられ評価されてしまった感がありますが、本来は、「協力のための手続きの1つ」なのです。

岩井 俊憲:ヒューマン・ギルド代表

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