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「昭和・平成に幸せだった人」が今後ラクになる発想 川勝知事辞任にも学ぶ"アップデート"はどこまで必要か

東洋経済オンライン / 2024年4月7日 7時20分

しかし、「当時がよかった」と思う人の多くは、過去を美化してノスタルジーに浸っているか、あるいは既得権益層として恵まれた環境にいたかのどちらかではないかと思ってしまう。

ドラマの最終回でも描かれているように、当時は職場ではセクハラ、パワハラが、学校では体罰やいじめは当たり前のようにあった。不登校は「登校拒否」と言われ、本人に問題があるとされた。

筆者自身、小学校から高校までいじめにあっていたが、担任の教師から「いじめられる側にも問題がある」として対応してもらえなかった。常に同級生からのいじめだけでなく、体罰におびえながら学校生活を送っていたが、「学校に行かない」という選択肢は決して許されなかった。

実家は飲食店を営んでいたが、男性客が若い女性アルバイトのお尻を触ったり、今だったら一発アウトになるセクハラ言葉を投げかけたりしていた。商売のために、それを黙認せざるをえなかったし、当時はその行為はさほど問題として捉えられていなかった。

地方の出身だったこともあるが、進学や職業についても周囲の価値観は凝り固まっていた。高校時代、成績がよい学生は、大人たちから「地元の国立大学に行って、県庁か市役所に就職しろ」と言われていた。特に成績優秀であれば、「医学部に行って医者になれ」と言われた。実際、筆者の同級生には、当人の希望にかかわらず、医学部に進学した優等生が何人もいた。

ドラマの中で、1986年時点では不登校だった高校生の佐高くんが、2024年にはゲーム会社を起業して大金持ちになっていた――というエピソードが出てくる。

筆者の知人の息子も不登校だったのだが、iモードがヒットした2000年頃、ケータイ向け占いサービスを始めて成功を収め、お金持ちになったという事例を目の当たりにした。

起業は過去にもあったが、現在ほど容易ではなかった。時代の急激な変化があったからこそ、キャリア選択の自由度、多様性が高まり、それが尊重されるに至っているのだ。

実際のところ、旧世代にとっても、昔よりもいまの時代のほうが生きやすさは増しているのではないだろうか。

現代も“不適切なこと”はたくさんある

筆者も含めて、旧世代の人たちは「自分たちが散々苦労してきたのに、どうして下の世代は……」という意識もあるのではないかと思う。

学生時代は、体罰や理不尽な校則、部活での過酷なしごきに耐えて、社会に出てはセクハラ、パワハラに負けず、休日出勤やサービス残業をこなしていまの地位まで来たのに、下の世代に同じ行為を行うと、「セクハラだ」「パワハラだ」と断罪されてしまう。部下は個人の権利ばかり主張して、仕事に対して責任を全うしようとしない-―。そんな嘆きがほうぼうから聞こえてくる。

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