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先進国が掲げる「法の支配」のダブルスタンダード 西洋基準たる「万国公法」の呪縛から脱する時だ

東洋経済オンライン / 2024年4月16日 9時0分

東アジアにおいて、この条約体制の最初の犠牲となったのが中国最後の王朝・清朝で、アヘン戦争後、イギリスとの間で締結された南京条約(1842)は不平等条約そのものであった。開国した日本がアメリカと締結した日米修好通商条約(1858)が「領事裁判権の承認」 と 「関税自主権の欠如」という不平等条約であった理由もここにある。

だが、日本には万国公法や欧米諸国の植民地主義、帝国主義に疑義を投げかける人物もいた。たとえば西郷隆盛(1828-1877)である。西郷は『南洲翁遺訓』(1890)の中で、次のように記している。

「文明というのは道義、道徳に基づいて事が広く行われることを称える言葉である。(中略)もし西洋が本当に文明であったら開発途上の国に対しては、いつくしみ愛する心を基として、よくよく説明説得して、文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく、開発途上の国に対するほど、むごく残忍なことをして、自分達の利益のみをはかるのは明らかに野蛮である」

「文明国」と認められることへの違和

日本を「野蛮国」だと見下してきた欧米諸国の日本をみる目が変わるきっかけになったのが日清・日露戦争の勝利だ。日本を「文明国」と認め、不平等条約の撤廃に応じた。西洋的な見方を国際基準として妄信することを拒否した思想家・岡倉天心(1863-1913)は、『茶の本』(1906)で、このように書いている。

「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮(さつりく)を行ない始めてから文明国と呼んでいる。(中略)もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう」

近年のアメリカの外交姿勢はG20からG7への回帰、国連中心主義から有志連合へシフトしている。「フレンド・ショアリング」を提唱する等、アメリカ一極支配が終焉することへの焦燥感を募らせている。

それを見逃さなかった岸田首相は、演説の冒頭で「米国の世界における自国のあるべき役割についての自己疑念」を鋭く指摘し、世界から孤立するアメリカに、こうダメ押しした。

「ほぼ独力で国際秩序を維持してきた米国。そこで孤独感や疲弊を感じている米国の国民の皆さまに、私は語りかけたいのです。そのような希望を一人双肩に背負うことがいかなる重荷であるのか、私は理解しています。世界は米国のリーダーシップを当てにしていますが、米国は、助けもなく、たった一人で、国際秩序を守ることを強いられる理由はありません。
皆さま、日本は既に、米国と肩を組んで共に立ち上がっています」

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