1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「運」で未来が決まる理不尽な社会に怒っていい 「だってしょうがなくね?」のままでいいのか

東洋経済オンライン / 2024年4月24日 12時30分

仮に正社員になれても、成長は行きづまり、奪い合いが待ち受けているとわかっているのに、貧しくなるよりましだからがんばれと背中を押さなければいけないのです。

運がよければそれでいいでしょう。幸せに生きていけます。でも、運が悪ければ、どんなにキャリアを積んでも、ちょっとしたきっかけで奈落の底に突き落とされます。

貧しい人に無関心で冷淡な社会は、いつ、自分や子どもたちに牙をむくかわからないのです。

今日よりもすばらしい明日を見通せない社会、生きづらい社会をこのまま残して死んでいいのでしょうか。

理不尽に怒りを!

僕はとても貧しい家庭で育ちました。母子家庭の生まれで、母のスナックのカウンターで毎日勉強して大きくなりました。

母、そして一生独身を貫いた叔母、二人が借金まみれになって僕を大学、大学院に行かせてくれて、今があります。

僕は大学の教員になれました。おかげで、この本を通じてみなさんと対話できる幸せ、何物にもかえられない喜びを感じることができています。

ですが、母子家庭や貧しい家庭に生まれた子どもたちは、その多くが勉強や進学の機会を与えられず、未来をあきらめねばなりませんでした。そんな子どもたちを僕はたくさん見てきました。

この途方もなく大きな差は、いったいだれの責任なのでしょう。この途方もなく大きな差を、学者である僕はいったいどうやって説明すればいいのでしょう。

ここに僕の怒りの根源があります。

子どもは親を選べません。なのに、貧しい家に生まれたというだけで大学や病院に行けない子どもがいます。そんな社会は「公正」な社会でしょうか?

生まれたときに障がいがある子がいます。それだけの理由で、不当な扱いを受け、色んなことをあきらめなければいけない社会が「公正」な社会でしょうか?

うちには3人の娘がいます。女の子として生まれたというだけで、性別や出産を理由に大好きな仕事をあきらめなければいけない社会は「公正」な社会でしょうか?

教えてください。自分が当事者だったら、子どもたちが不運な側に置かれたら、その理不尽な現実を「しかたない」の一言ですませられるのでしょうか?

「だってしょうがなくね?」でいいのか

日本は現役世代の暮らしを支える力が弱い国です。失業手当をもらえる人の割合は少なく、他の先進国では当たり前の住宅手当(家賃の補助)すら整っていません。

これに大学を中心とした教育、医療や介護の自費負担が加わります。いまの暮らしも、老後の暮らしも安心できないことにみんな気づいています。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください