あわや事故も、大正・昭和天皇の鉄道「ご受難」史 勾配で電車逆走し衝突寸前に、脱線にも遭遇
東洋経済オンライン / 2024年4月27日 6時30分
熱海鉄道会社(注:豆相人車鉄道から社名変更)の人車二台までが転覆して重軽傷者七名を出したる椿事につき(中略)、変事の場所即ち江の浦新畠北に差掛かりたりしが自分(筆者注:事故車を操車していた車夫)の二等車七号は歯止めが極めて緩るければ同所の如き急勾配は速力早まるは当然の事なれば強よく締めたるに突然後部が浮き立ちガクリ海辺に面して転覆したる次第なり(後略)
このような大事故には至らないまでも、人車の脱線・転覆は、しばしば起きたという。地元の人から聞いた話では、かつて根府川の海岸線に植えられていた松林は、「下り坂で脱線した人車が海まで転げ落ちないよう、落下防止のために植えられた」という。
このように現代の基準で考えれば(当時の基準でも)、危険といわざるを得ない人車鉄道であったが、『静岡県 鉄道物語』(静岡新聞社編)という本に、早川に住む古老の思い出話(1897年頃)として大正天皇が人車に乗られたというエピソードが掲載されている。
わしが10歳ぐらいのころ、大正天皇が皇太子のころだろう、熱海に出かけられ人車に乗られた。早川の駐在や多くの巡査が出て大さわぎだった。先頭の客車に警察官が乗り、三台目の客車に皇太子が乗られた
しかし、脱線・転覆がしばしば起るような危険な乗り物に、皇太子が乗車するようなことがあったのだろうか。
そこで、前掲の『大正天皇実録』で記録を調べてみたところ、皇太子(大正天皇)は1889年から1892年までは毎年のように避寒のために熱海へ赴かれていたが、1893年7月に沼津、1894年1月に葉山に御用邸が建てられると(皇太子の静養を目的として建てられた)、以後は沼津・葉山が冬季の主な転地先となる(避暑先は日光、塩原、沼津、葉山など)。
人車鉄道が小田原―熱海間で全線開通した1896年の暮れからは沼津、翌1897年は葉山で冬を越されており、以後、人車が軽便鉄道(蒸気機関車)に変わる1907年までの間で、人車で熱海に向かわれたという記録は見つけられなかった(そもそも熱海に赴かれた記録がない)。古老の話が具体的なだけに、まったくの記憶違いとは考えづらく、謎である。
なお、1910年12月22日に幼少期の昭和天皇(裕仁親王)が熱海御用邸に赴く際には、軽便鉄道があるにもかかわらず、小田原から熱海まで人力車を利用している。この軽便鉄道については、夏目漱石が未完の大作『明暗』の中で「途中で汽缶(かま)へ穴が開いて動けなくなる汽車」と描写しているくらいだから、信頼度が低かったのであろう。
昭和天皇、あわや御受難
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