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常にガラガラ「渋谷モディ」スタバだけ満員の理由 「ちょっと時間を潰す」ことが今の都心では困難に

東洋経済オンライン / 2024年5月2日 12時50分

「すれちがう人が美しい〜渋谷公園通り〜」。

これだけで、ちょっと街を歩きたくなる。渋谷に行けば、店に入らなくても、何か楽しいことがあるかな、と思わせる魅力があったのだろう。社会学者の北田暁大は、こうした70〜80年代渋谷の開発を、「ディズニーランド」に例えているが、ディズニーランド内は歩いているだけで楽しいように、渋谷もそんな街として存在していたわけだ。

チーマー、ジベタリアン、90年代渋谷の使われ方

このようにして、渋谷は歩いていて楽しい街として開発されたのだが、これが1990年代以降は異なる様相を見せるようになる。センター街(現・バスケットボールストリート)を中心に、いわゆる「援交少女」たちやチーマーなどがたむろするようになったのだ。

こうした人々は、例えば、1990年代後半から2000年代前半にかけて、社会問題にもなった「ジベタリアン」として、渋谷の路上にたむろしたりしていた。西武パルコのシンクタンクが運営するメディア「ACROSS」が2000年に渋谷の大規模な路上調査を行っているが、そこでは、路上にたむろする人々が多くいる様子が書かれている(奇しくも、そこでは「路上カフェ」としてジベタリアンたちが紹介されている)。

また、路上以外にも、例えば、当時は数が多かったゲームセンターにたむろする若者も多かっただろう。実際、私が他の記事で渋谷について書いた際のコメントの中に、「かつてはゲームセンターによくいたなあ」と回想するような声も多かった。

もちろん、こうした状況は「治安悪化」として、多くの人からは歓迎されないだろう。しかし、都市の中の「滞留行為」という点では、西武パルコが行った「ぶらぶらする街を作る」ことと似たような街の使われ方だったのではないか。

2000年代の変化で「滞留する街」ではなくなった渋谷

しかし、この状況に変化が訪れる。北田が指摘している通り、渋谷は、他の「プチ渋谷」と呼ばれるような街と似てきた。実際、渋谷は大手のチェーンストアなども目立ち始める。渋谷の街としての誘引力が下がったのである。「ぶらぶらする街」ではなく、単に「便利な街」になってきたのだ。

これに加えて、2001年には池田小事件、またそれに先立つ1995年にはオウム真理教による地下鉄サリン事件などもあり、治安に対する社会的不安が増大していた。このような流れの中で、都市において、人をたむろさせないような仕組みが増えていく。

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