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常にガラガラ「渋谷モディ」スタバだけ満員の理由 「ちょっと時間を潰す」ことが今の都心では困難に

東洋経済オンライン / 2024年5月2日 12時50分

建築史家の五十嵐太郎は、2000年代に起こったこうした都市の変化を「過防備都市」と呼んでいる。街の中で防犯カメラが増えたり、トイレを貸さない場所が増えたり、路上でたむろする人々を滞留させないような都市のことである。

例えば、このような流れの中で出てきたのが「排除ベンチ」などと呼ばれるもの。普通のベンチに、わざと仕切りをつけて眠れないようにしたり、座りにくくしたりしている。つまり、若者の「たむろ」が少なくなってきたということだ。

実際、中小のゲームセンターも数を減らしてきており、都市の中でたむろする空間が減ってきたと指摘できるだろう。

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また、これは参考程度にしかならないが、「ジベタリアン」という単語の登場率を大手新聞4社について調べると、2003年あたりからぱったりと報道が切れる。一概には言えないが、街からジベタリアンがいなくなったのは、こうした傾向とも連動していると思われる。

このような複合的な要素の中で、渋谷は街の中をぶらぶらするわけでもなく、またたむろするような空間が潤沢にある場所でもなくなってきた。

総じて言えば、時間を潰すことができにくい街になってきたのである。

そうした流れで2000年代に急増したのがスターバックスをはじめとするカフェチェーンである。

2000年代からは、いわゆるセカンドウェーブコーヒーの流行により、現在見られる大手カフェチェーンのほとんどが出揃ってきた。

スタバに限っていっても、2000年代にはその数をきわめて大きく増やしている。これらのお店は「なんとなく街にいたい」「とりあえず座っておしゃべりしたい」というニーズを満たす場所になったのではないか。つまり、都市空間から失われつつあった滞留の場が、民間の営利空間に移行した側面があると考えられると思うのだ。

自由な滞留行為が「都市空間→カフェ」へ

このように渋谷の街の変遷を追うと、現在の「カフェ混みすぎ問題」の一因が見えてくる。

かつては街の賑わいそのものだった「ぶらぶら歩く」「街の中にいる」といった自由な滞留行為が、都市空間から、民間のカフェへと移ったかもしれないのだ。

これはまだ1つの仮説ではあるが、「街の滞留空間」としての「カフェ」の存在感が増してきていることはいうまでもない。そして、その背後にはおそらく、私たちと街をめぐる大きな問題があるのではないか、と筆者は思っている。

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