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藤井聡太に挑戦「豊島九段」が人との練習やめた訳 "孤高の努力家"が「棋聖」獲得までに行ったこと

東洋経済オンライン / 2024年5月8日 12時40分

豊島に変化を感じたのは畠山だけではない。棋聖戦が開幕する一月前、豊島は地元愛知県の岡崎将棋まつりに参加した。毎年多くの棋士が出演して、2日間にわたってファンを楽しませる。

前夜祭の後、若手棋士たちが集まって飲み交わすのが恒例になっていた。室谷由紀(女流三段)は「豊島さんは来てくれないだろうな」と思っていた。彼がこうした席に顔を出すことは何年もなかった。だがこの日は集まりの場に来て酒を口にしないが楽しそうに過ごした。室谷の中でそれは驚きだった。

豊島にその頃の気持ちを聞いた。

「余裕というか……(タイトルに縛られるのは)もういいかなと思っていたかもしれません(笑)。やれることをやって、どうなるか。それでダメならしょうがないという気持ちでした」

これまででいちばんつらかった時期

棋聖戦第5局は、東京都千代田区にある都市センターホテルで行われた。午後になると羽生の偉業達成を期待する取材陣が集まり始めた。多くは普段、将棋の取材にかかわらない一般マスコミである。

夕刻、羽生が頭を下げた姿がモニターに映る。投了の瞬間、豊島の胸に去来したのはうれしさよりも「長かった。ホッとした」という気持ちだった。28歳になっていた。

将棋連盟の広報が取材陣を順に対局室に誘導する。100期達成ならば先を競ったであろう記者やカメラマンも、穏やかに指示に従う。

筆者は最後のほうに入室した。ストロボが光る中、下座に座る姿が目に入った。その背中が、大きく感じられた。

こんなにも逞しかったか……。

豊島を間近で見たのは、電王戦以来4年ぶりだった。どれだけの葛藤を乗り越えてきたのだろう。儚げだった青年の面影はなかった。

記者会見が始まる。豊島は運営の指示に従って動いた。記者が自分を「棋聖」と呼ぶ声が聞こえた。いくつかの質問に答えた後に「これまででいちばんつらかった時期は?」と聞かれる。

「25歳からいままで」

ためらわずに言った。豊島が笑顔を見せると、口元に八重歯が覗いた。

野澤 亘伸:カメラマン/『師弟~棋士たち魂の伝承』著者

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