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プロ野球「観客動員」過去最高になるかもしれない コロナから回復、動員率が9割を超える球団も

東洋経済オンライン / 2024年5月12日 12時30分

野球場での広告掲示は、スポンサードする企業にとっては「ターゲット層が絞り込みやすい」というメリットがある。球場に来るのは「スポーツ好き」な「若年から壮年層」が中心で、居住エリアは「球場近隣の地域」が多いからだ。だから球場広告にはナショナルスポンサーに加えて、地域企業の名前も多い。

観客動員が増えれば、スポンサーの広告の露出も増える。だから球団の担当者も強気の営業ができるのだ。「うちのスポンサーの多くは、コロナ禍で観客が入らないときもついてくれたから、観客が入ったからといって急に強気にはなれないけど、そろそろ新しいお客も見つけていかないと」と球団営業担当者は言う。

このようにプロ野球の観客動員は「球団の営業状態」をダイレクトに示す非常に重要な指標になっているのだ。

しかし昔はそうではなかった。観客動員は今も昔も「主催球団発表」ではあるが、かつては、実数ではなく、球団が恣意的な数字を発表していた。昭和、平成初期のプロ野球を知っているオールドファンは、東京ドームの巨人戦が連日「5万6000人」の発表になっていたのを覚えているのではないか? 

しかし同じ東京ドームで行われる日本シリーズでは、観客動員は「実数発表」になるので「4万6153人」などペナントレースよりもはるかに少ない数字になっていた。日本シリーズのチケットはほぼ売り切れるから、空席などあるはずもない。当時の巨人は1万人近くも「さばを読んでいた」わけだ。

不人気だったパ・リーグの球団でも…

それは巨人だけでなく全球団で同様で、不人気だったパ・リーグなどは「あまり少ないのはみっともない」と考えたのか、最低でも1000人と発表している球団もあった。

球団発表では端数は発表しないことが多いので、観客動員の数字の末尾2桁くらいまでは「0=丸い数字」になっていたものだ。

大阪球場や日生球場などで行われた当時のパ・リーグの試合をよく見にいったが、それこそ「1人、2人、3人」と数えられるほどしか観客が入っていない日も多かった。「明日の新聞発表は、また1000人やな」と仲間と話したのを覚えている。

1954年から3年だけパ・リーグに存在した高橋ユニオンズは、新興だけに極めて不人気だったが、オーナーの孫から「当時の売り上げ伝票を調べていたら『有料入場者数29人』という日がありましたよ」と聞いたことがある。この日でも球団発表は350人だった。

1990年代、読売ジャイアンツが発表する観客動員は毎年主催65試合前後で350万人を優に超していた。これはMLBの最多動員のロサンゼルス・ドジャースの主催81試合での325万人を上回っていた。日米野球で来日したMLB関係者の中には東京ドームを見て「そんな馬鹿な数字になるはずないじゃないか」という人もいた。

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