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なぜ若者は怒られると過剰に反応してしまうのか 上司にとって「怒らない=最適解」になる病理

東洋経済オンライン / 2024年5月15日 6時50分

怒りという基本的感情を排除した余波は、こんな意外なところにも及んでいるのだ。

いい感じに怒ってほしい

ただし、ほとんどの若者は必ずしも怒る・怒られること自体を否定してはいない(怒ることを忌避して排除しているのはオトナである)。怒られることに異常ともいえる反応を示すのも、ごく一部である(が、たしかに存在しているし、増えていくだろう)。

実際、学生に「自分が部下だとして、遅刻してしまったら怒られるべきだと思いますか?」と訊いても、案外「怒られるのが当然」と言う人は少なくない。ざっくり半数くらいは、まあそれは怒られるべきじゃないの、と思っている。

理由として多いのは「怒られないのは逆に、見捨てられているような気がする」という意見だ。怒ることを正当化するわけじゃないけど、愛情ゆえの怒りというものも当然存在する。若者は過度なくらい感情の世界で生きていて、だからこそ愛してほしいのだ。

ただまあ、ちょっと都合が良い。「メンタルにくるようなのは止めてほしい」「諭すように怒ってほしい」「頭ごなしに……」「感情的に……」。非常に細かい注文がつく。お金払ってるお客さんにだったら細かいニーズでも応えようとするのだけど、相手は部下だ。お金もらうんじゃなくて払っている相手だ。

一番選ばれやすい答えはきっと、こうだ。

「めんどくさいから怒らないで、放っておく」だ。

怒られない社会の病理

2023年の11月に元プロ野球選手のイチローさんが、高校生らに向けて話す動画が話題になった。北海道の旭川東高校野球部に招待され色々話をする中で、次のようにグラウンドで語りかける(書き起こし・句読点は著者加筆)。

「指導者がね、監督・コーチ、どこ行ってもそうなんだけど、厳しくできないって。厳しくできないんですよ。時代がそうなっちゃっているから。導いてくれる人がいないと、楽な方に行くでしょ。自分に甘えが出て、結局苦労するのは自分。厳しくできる人間と自分に甘い人間、どんどん差が出てくるよ。できるだけ自分を律して厳しくする」

いいことおっしゃる。本当に、現代にこそ必要な至言だ。大学でも職場でも、厳しくすることがほんとにできなくなっている。オトナは若者を怒らないし、怒れなくなっている。結果的に若者の機会を少なからず奪っているとすら思うけど、でもこの流れは止められない。それが「時代」なのだ。

時代って何なのか誰もよくわかってないけど、そうなっていったらもう抗えない、あまりに強い濁流。この令和の新しい時代に、若者はとても「むごい教育」を、残酷なことをされているのかもしれない。

怒られない社会・怒られない職場の病理は2つある。まず、若者の免疫があまりにも弱体化して、かえって怒(られ)ることを過大視しすぎてしまっていること。私語を注意するなんて何の気なしにされるようなことなのに、された方が人格否定のように、取り返しのつかない過ちを犯したかのように感じてしまう。

もう1つは、怒ることをネガティブに捉えすぎるがゆえに、もし若者が怒ってほしい・怒られるべきだと思っているときでさえも、上司は怒らないことを選択してしまうという問題である。それはもはや上司個人の問題ではなく、社会や組織の力学がもたらした「最適解」なのだ。

舟津 昌平:経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師

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