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世界の建築にも影響、日本発「メタボリズム」の正体 西洋建築と日本の歴史を通して見えてくるもの

東洋経済オンライン / 2024年5月16日 18時0分

たとえば、戦後国際建築家チームの一員として設計に参加したニューヨークの国際連合本部ビルや、日本で唯一の作品である東京の国立西洋美術館など、ル・コルビュジェが計画や設計を手がけた建築を見れば、モダニズムの特徴は一目瞭然。

機能主義と合理主義に徹した、装飾のない幾何学的な「箱」のような建築です。このモダニズムに対しては、美意識の面からさまざまなアンチテーゼが投げかけられました。ヨーロッパに加えて、米国や日本が西洋建築史の表舞台に出てくるのも、この頃からです。

ちょっと先回りしてお話ししておくと、モダニズム建築は1960年代にはすでに行き詰まっていました。世間的には最先端の新しいビルなどを「近代建築」と呼んだりするので、60年も前に行き詰まっていたと聞くと意外に感じるかもしれません。

でも建築家にとって、「モダニズム」はとっくの昔に新しい概念ではなくなっています。それに関連して、ここでひとつ、個人的にもちょっと思い入れのある建築を紹介しておきましょう。

その建築は、モダニズムの名作でありながら、その「終わりの始まり」を告げるものにもなってしまいました。1956年に米国ミズーリ州のセントルイスに建設された「プルーイット・アイゴー」という名の団地です。

極貧地区のスラムを取り壊して、新たに11階建ての高層住宅33棟を建てたのですが、これはのちに、米国の住宅計画史上最大の失敗と評されることになりました。

予算削減のためコストを下げて住みやすさを犠牲にしたこともあり(たとえばエレベーターは1階、4階、7階、10 階にだけ停止するシステムでした)、犯罪が増えるなど環境が荒廃して、団地そのものがスラム化してしまったのです。

入居者も激減したため、プルーイット・アイゴーは1972年に爆破によって解体されました。ある建築評論家は、この団地が爆破された日のことを「モダニズム建築が死んだ日」と述べています。

「建築界のヒーロー」とも呼べるミノル・ヤマサキ

このプルーイット・アイゴーを設計したのは、日系アメリカ人のミノル・ヤマサキでした。僕も長く日系アメリカ人として米国で暮らしたので、この建築には個人的な思い入れがあるのです。 

僕は戦後生まれなので体験していませんが、第2次世界大戦中の米国は、日系人にとって過ごしやすい国ではなかったでしょう。日本軍の真珠湾攻撃を受けた後は、12万人以上の日本人と日系人が自宅から退去させられ、強制収容所に送り込まれました。

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