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「最近の若者は…」過剰に一般化する人の深刻盲点 都合よく情報を拾ってしまう「認知の偏り」の罠

東洋経済オンライン / 2024年5月17日 17時0分

さらに同様のことは、認識の上でも起こり得ます。新しいゲームが欲しい子どもは、しばしば親にねだるときに、「みんな持っているから、買って!」という言い方をします。

このとき、「Aちゃんは持っているの?」と適当に子どものクラスメートを挙げると、「Aちゃんは持ってない」。「じゃあ、Bちゃんは?」「Bちゃんは知らない」。

なのに、子どもは嘘をつくつもりなく「みんな持っている」と思っていたりします。

個別に聞けばみんなじゃないのに、それでも「みんな持っている」と思い込んでしまったならば、自分に合う情報だけが際立って見えていたというわけです。これが、認識が偏ってしまっているということなのです。

過剰一般化が「伝わらない」の原因に

この子どもの例にもあるように、私たちはまんべんなくものを見たり認識したりすることができないばかりでなく、目に入ったり認識できたりしたごく一部の情報が「すべて」だと思い込んでしまう傾向にあります。大人になってもそれは変わりません。

例えば数年前に、アメリカで、ある国や人種の人、思想信条の人を入国制限しようという大統領令が出されました。ある人がテロ行為を行ったときに、その人の国や人種、同じ思想信条の人すべてをテロリストだと考えてしまう。

こういう思考バイアスを「代表性バイアス」といい、代表的な事例をすべてにあてはめて考える現象を「過剰一般化」といいます。

しかし当然ですが、ある個人の行動が、その集団すべてを代表するものであるとは限りません。ある町内で万引きが起こったとしても、その町内に住む人みんなが万引きをするなんてことはあり得ないはずです。

それなのに、誰か特定の人の行動を見て、「アメリカ人は〜」「日本人は〜」「20代の女性は〜」「これだから男は〜」「最近の若者は〜」などと決めつけてしまいがちです。

特に、そこに感情的なものが関わってくる場合には、過剰一般化をより起こしやすくなります。例えば「◯◯人」に対する印象が悪い国では、自分の意見もそれに同調するようにつくり上げられることが多いのです。自分の感情だけでなく、世間的なものもここには含まれます。

あるいは、私たちは、ある1人の人についても、たまたま目についた特徴だけを拾い上げて、「〇〇さんは〜だから」と過剰一般化してしまうことも珍しくありません。

たまたま一度、やむにやまれぬ事情があって遅刻をしただけなのに、自分の気持ちが急いているときは、「この人は時間にルーズだ」と思ってしまったり、ちょっとした細かいミスを指摘したら「些細なことにこだわる面倒くさい人だ」と思われてしまったり。

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