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人の欲求に最大限応え形作られた日本のラブホ 昭和、平成、令和…日本ラブホテルの変遷史

東洋経済オンライン / 2024年5月18日 19時0分

まさに昭和の豪華絢爛な世界観が反映された最高峰のラブホテルだった。「思い出を形にしたかった」と女性は言った。実らぬ恋、せめて2人だけの秘密の結婚写真が欲しい。私はカップルの幸せそうな姿をシャッターに納め続けた。

その時に、私は「カップルの向かう先は結婚だけではない。カップルの最高の思い出の地が必ずしも、ハネムーンや結婚式場とは限らない」と気づかされた。人目を避けて会いたい2人が、思い出を 刻む場所として選んだのが「川崎迎賓館」だった。

そんな2人を目の当たりにしてからラブホテルへの考えが変わった。それまでの私は「ラブホテル」はベッドと風呂があればいいという考えだったが、これを機に考えが大きく変わった。

要人が使うわけでも、文化遺産として残るわけでもない。名も知れぬカップルのためだけに用意された空間だ。この密室空間はあくまでカップルの思い出になる手助けにすぎない。

しかし、それが2人にとって最高の一夜になるように、空間を演出するためのデザインをはじめ、さまざまな叡智を重ねたパイオニアたちが存在したのだ。

どうすればカップルが喜んでくれるか、一生の記憶に残る営みになるか、検討を重ねて具現化してくれた愛の王国を建国した王様だと言っても過言ではない。

そんな王様たちに心からの敬意を表したいと思うようになった。何かと世間の風当たりが強いラブホテルだが、日本が誇る至極の文化だと言える。私にとってラブホテルはその方々と触れ合える「逢瀬の間」なのだ。

そうして、私のラブホテルのデザイン記録活動が始まった。対象は、「記憶に残る個性的なラブホテルの部屋」。

ラブホテルに魅了され全国をめぐり、かれこれ6年が経過した。北は北海道の稚内や釧路から南は鹿児島まで、これまで約350カ所ものホテルを訪れた。

元号で変遷を告げるラブホの内装

現在はネットであらゆる情報をみていくことができるが、いろんなホテルの扉を叩いても、必ずしも記憶に残るホテルというのはそうそう簡単には出会えない。

ネットのおかげで、事前にどんな部屋か写真である程度わかるようになったのはありがたいものの、まったく情報が出ていないところも一定数存在する。

そういうホテルはネット草創期よりも前の昭和から平成初期にかけて多い。ネットを使わないオーナーが多いことも影響している。情報のあるなしを含めて気になるところはひたすら門戸を叩くので、当然、費用も時間もかさむ。

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